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こどもの日と母の日と~子どもは宝、子どもは未来~万葉集の山上憶良の歌

しろかねくがねも玉も何せにまされるたから子にしかめやも  山上憶良やまのうえのおくら


銀も金も宝石も、どうして子どもという宝に及ぶだろうか。いや及ぶまい。

 山上憶良のこの歌は「万葉集」に載っている。
 「金」は「くがね」と読み、後に「こがね」と言うようになる。「銀」は「しろかね」、後に濁って「しろがね」となる。「玉」は宝石のこと。「何せむに」は、「どうして~だろうか、いや~ない」。「子にしかめやも」の「しかめやも」は、「及ぶだろうか、いや及ばない」。どんな宝物よりも子どもが大切だと歌っている。

 そんな子どものための祝日、こどもの日は5月5日。
 こどもの日は1949年より実施されたが、それ以前は5月5日といえば端午たんご節句せっくだった。
 端午の節句は、男の子の誕生を祝い、その健やかな成長を祈る行事。こいのぼりを飾り、しょうぶ湯に入る。ちまきやかしわ餅を食べる。こいのぼりの鯉は、鯉の滝登りで立身出世を意味し、菖蒲しょうぶは「勝負」のダジャレもあり、刀の形をしている。武士の男の子の祝いから広がった。
 その端午の節句の日に「こどもの日」を制定し、男の子だけでなく「子ども」全部の祝日にした。武士にとっては跡継ぎの男子が大事だったかもしれないが、親にとっては男だろうが女だろうが全部かわいい子どもだ。
 性転換した子が親にカミングアウトしても、親は子を受け入れた、なんて話はよく聞く。その場では受け入れられなくても、やはり自分の子はかわいい。それが動物としての人間の本能だろう。
 生き物は、自分の未来であるはずの子どもを大切にする。

 こどもの日は「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことを趣旨とする。あれっ、女の子だけじゃなく「母」も入っている。
 同じ5月の第2日曜日の母の日は祝日になっていない。それならついでにこどもの日に「母」も入れちゃえ、という感じだ。
 母の日は外国から来た行事だけれど、日本でも広がっており、祝日として無視するわけにはいかない。でも、母を認めたら父はどうなるか。そこでこどもの日に母を合体させた、ように感じる。
 ちなみに、父の日は、6月の第3日曜日。こっちは、あんまり祝ってもらえない。

 母も父も、子どもに新時代を託す。
 子どもは宝であり、子どもは未来。

 昔は子どもがよく亡くなった。それで、ちゃんと生きるようにと、端午の節句などいろいろな行事があった。女の子は3月3日のひな祭りがある。桃の節句だ。季節の変わり目に子どもの成長を祝う。弱い子どもが生きるようにと祈っていた。

 子どもは弱いけれども、元気にあふれている。エネルギーのかたまりだ。
子ども同士は元気に遊ぶ。元気に暴れるといった方がいいくらい動き回る。
 大人はそこまで動き回れない。年をとればとるほどついていけなくなる。子どもの相手をする年寄りは、うれしい反面とても疲れる。エネルギーが違いすぎる。感覚が違いすぎる。
 でも、それが未来。
 違うからこそ未来がある。現状維持では何も変わらない。
 楽しいことだけじゃない。心地よいことだけじゃない。それでも大切な宝。

 未来はエネルギーにあふれている。
 その未来を大切にしたい。


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