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自分のためだけに買ってくれた本|思い出図書 vol.06

子どもの頃から身近に本があった。
家の中の本はどれも好きに読んでよく、学校の図書室や近くの図書館にも通い詰め、お菓子やおもちゃはそうそう買ってもらえなくても、本なら(文庫程度なら)喜んで買ってもらえた。3人兄妹で共有できるようなものが前提ではあったのだが。

また、母は英米文学が好きなひとなので、わたしにも最初は「大草原の小さな家」「長靴下のピッピ」「ふたりのロッテ」などを買ってきた。
ただ、残念ながらわたしは英米文学というものに興味を示せなかった。風景や食べ物、そのほか日本とは違う(でもその国では当たり前の)カルチャーの描写に戸惑いさえした。説明もなしに知らないものが出てくるのでシーンをイメージできず、内容が頭に入って来なかったのだ。

マンガを読むようになり、語彙も多少は増え、知覚する世界の範囲が少しくらい広がってからは、海外文学も読めるようにはなった。
それでも小学生のうちは図鑑を眺めたり、マンガ日本の歴史を縄文時代から現代まで一気読みしたり、「ぴくぴく仙太郎」というウサギのマンガを読む方が好きだった。「大草原の小さな家」を読了することはなかった。


小学校4年か5年くらいの頃だったと思う。たぶん冬休みで、母の実家の福島にいた時だ。
金ローだったかどうかは定かではないが、テレビで映画をやっていた。「ドリトル先生」だ。
エディー・マーフィー主演の方ではない。原作に忠実な、少し古い映画だった。

動物と話せる医者のドリトル先生が、動物たちに請われて旅に出て、傷ついた動物たちを癒していく。
大きく美しいでんでん虫と、イギリス紳士な服装のドリトル先生が記憶に残っている。

わたしはこの映画にすっかり魅了された。
動物と話せるというだけで素晴らしく魅力的な物語なのだが、昔のイギリスの風景も服装も旅の道中も、なんとも素敵だったのだ。

母はこれに気をよくしたようで、さっそくドリトル先生の本を買ってきた。
わたしのために、わたしだけが読みたい本を買ってくれたのは、これが初めてだったような気がする。
もっとも、映画のもとになったのはどうやら「ドリトル先生 航海記」のようで、わたしとしてはそれが読めればよかったのだが、母はドリトル先生のシリーズを全巻しっかり揃えてくれた。少し引いたのを覚えている。


結局わたしが読み切ったのは「航海記」だけで、「アフリカゆき」「緑のカナリア」などは読まなかった。
一応シリーズ1作目にあたる「アフリカゆき」は手をつけたのだが、途中で読むのをやめてしまった。西部開拓時代のアメリカでさえイメージできなかったというのに、アフリカは難易度が高すぎた。

それでも「わたしの本」として今も実家の本棚に並んでいるドリトル先生シリーズ全巻を見るたび、心が満たされるのである。

ドリトル先生物語(ヒュー・ロフティング 作 / 井伏鱒二 訳)
岩波文庫

これのために調べて「井伏鱒二 訳」だったことに驚いている。
今こそ読んでみようかな…


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