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多様性の末路

弊社が初めてマーダーミステリーを日本で実施した(身内でプレイした)のが2019年3月13日でした。
故に、マーダーミステリーが本格的に日本に入ってきて、3年が経ったと言えます。

第一回「王府百年」身内会/中道さん/かーんさん/ボドゲーマまつながさんなど参加

さて、マーダーミステリーは3年前に比べて発展したでしょうか?

もちろん、答えはYESでしょう。

しかし、ここ2年ほど、停滞しているとも感じます。
なぜでしょうか?

新型コロナという壁はもちろんあったかと思います。
しかしそれ以上に、「ジャンルの膨張」が発展の邪魔をしていると私は感じているのです。

定義を語ると批判される風潮

さて、まずこの話をするにあたり「マーダーミステリー」とは何なのでしょうか?

  1. 物語性がある

  2. 推理がある

  3. プレイヤーが当事者である

  4. ゲーム性がある(犯人と捜査側の非対称性と両立のバランス)

  5. プレイヤー間のコミュニケーション

最低限考慮しなければいけない要素はこの5つなんじゃないかと個人的には考えています。逆に言えば、この要素以外はあっても無くても良い「+α」ですし、いずれかが欠ける、あるいは弱すぎるものは「マーダーミステリー」としては不完全であるとも考えます。

もちろん賛否あるかと思います。少なくとも私はそう考えているというだけです。ただ、今となってはもっと強く主張しておけば良かったとも思っています。

こういった「定義」を語ると、界隈からは批判されます。
「私が作りたいものはそういうものではない」「もっと違うものがあってもよい」「体験感、没入感が至高」などなど。

そして、最後には

「多様性を認めろ」

となるわけです。私はそういった風潮に屈したわけです。
批判覚悟で、ものすごく正直な言葉を言わせて貰えば

「得意分野であいのりするためだけに、都合よく、中途半端な多様性論を振りかざして欲しくない」

とずっと思っていました。

日本に入って来た時点で「一つの完成形」だった

マーダーミステリーは、イギリスで生まれ、元々のパーティーゲームからフランスや中国を経て徐々に変容し「ゲーム性が強調された一つの完成形」として日本に入ってきました。

メチャメチャ目新しい要素があったわけではないのかもしれませんが、それぞれの要素の組み合わせとバランスに私は魅了され、日本での展開を始めたのです。

いまのマーダーミステリーの広がりは、その確固たる証拠であると言っても過言ではありません。

にわかに作ったものが日本に入って来たわけではなく、様々な変遷を経て「人気のあるもの」「一定の完成をみたもの」もっと言ってしまえば

「確実に面白いもの」

そういうものが日本に入ってきたわけです。

本当にマーダーミステリーを日本で広めたいのであれば、そこから進化させるとしても、「基本となる完成形」を踏襲し、バージョンアップをしなければならないと考えます。

基本を踏襲せずに、必要な要素を無くす、あるいは大幅に削ぎ落すのなら、別のジャンルを名乗った方が良い。そうしなければ、認知の統一が図れず、同じジャンル名のゲームなのに、プレイヤーが求めるものと、提供されるものの間に大きな齟齬が生まれてしまいます。

私も含め、制作者にとって「面白いものを作る」はもちろん「プレイヤーの認知に従う」は非常に重要なことであると考えます。それが制作者の矜持ではないでしょうか。

ジャンル内での認知の齟齬が拡大した結果、現在の「停滞」に繋がっているのではないでしょうか。

だって、目の前に案内された「マーダーミステリーと称されるもの」が、自分の求めている内容と合致するか、全く分からなくなってしまったのですから。

中途半端な多様性論

そもそも多様性とは何なんでしょうか?
「マーダーミステリー」というゲームが「多様性」の言葉の下、様々なものが生み出されたとして、そこで生まれた作品は「これはマーダーミステリーなのか?」と問われた瞬間に、それは多様性の群から既に外れているのではないでしょうか。

多様性というのは、ただ単に「似たものの群」というわけではなく、共通の認知としてその群に属すると考えられるものの中で、適した分類ができるものを指します。

認知されていない時点で「同一の群ではない」と言えるわけです。

「人間」という群の中には、異性が好きな個体もいれば、同性を好きになる個体も居る。あるいは、性別を問わずに好意を寄せる個体も居るでしょう。でも、いずれのパターンであってもそれが「人間」という群から外れると認知する人はいないと思います。これが「多様性」です。

もちろん認知のレベルや基準は様々で、見た目で判断するのか、骨格や遺伝子レベルで判断するのかという話もあり、認知の統一が完全にできるとは限りませんが、認知の齟齬が生まれるのは稀なケースと言えます。

少なくとも、1ジャンルの中に「多様性」を掲げて参入するのであれば、そのジャンルがどういうものか、どういった要素を持つか、何を以てジャンルを形成しているのか、という部分をしっかりと確認し、そして尊重したうえで齟齬の無い作品を作ることが、ジャンルの発展には不可欠なのではないでしょうか。

決定的に欠けているのはこの「尊重」の部分です。

クソゲーと言われても構わない

私は、絶対に「マーダーミステリー」を作ります。
もちろん、変化球はあるかも知れませんが、誰が遊んでも「これはマーダーミステリーではないね」と言われない作品作りをするつもりです。

クソゲーと言われたってかまわない。
どんなに天才でも、良作も駄作も生み出すものです。
凡人の私がずっと面白いものを作り続ける自信などあるわけもありません。

でも、絶対に

絶対に

「マーダーミステリー」と冠する限りは、「誰が遊んでもマーダーミステリーであると認知する作品」を作ります。今までもそうしてきました。

自分で「これはマーダーミステリーなのか?」と思う案件は、決して「マーダーミステリー」を冠することなく展開します。

それが、マーダーミステリーの発展に欠かせないと考えているからです。

多様性なんてクソくらえ

いや、多様性は求めていきます。変化球も色々考えたいと思います。
しかし、界隈で雰囲気として存在する「野球でピッチャーがゴルフボールを投げるような行為も”多様性”と言ってしまうような”メチャクチャな多様性崇拝”」はクソくらえです。

いま、マーダーミステリーは少し停滞していると思います。
その原因は、コロナもありますが、メチャクチャな多様性論によるジャンルの不当な膨張にあると、そして、それによってプレイヤーと作品の間に大きな齟齬が生まれた結果であるのではないでしょうか。

こういった捉え方に賛同してくれる方が増えるといいなぁ

と思っています。

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