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ああもう面倒くさい。

もううるさい。今はやめて。
家族とケンカになる時の、私の想いはこれです。

私は家でも何でも、余り長い時間議論というか
話し合いするのが苦手というか、面倒くさくなる方で
ある程度話してある程度相手の意図が分かったら
後はさっさと話しを終わらせて普段の感じに戻りたい。

でも家族は違っていて、納得するまで引かない。
「じゃあこれはどうなのか」「その時何を考えていたのか」
細かく、しつこく聞いてきます。

それは今のケンカに関係なくない?
って事まで出してきて、ますます私はうんざり。
それが態度に出るからなおさら長引くのは分かってるのですが
ついついイライラしてきて、全部バレてさらに長引くという悪循環。

人によってイラっとするポイントは違うんでしょうけど、
私はとにかくしつこいのが苦手です。
1回言えば分かるのにって思っちゃうから、
「生意気な態度!」と先生とかにも怒られてました。

何だか同じ話をループする先生とかがいて、
うんざりした顔をしていると、先生の後ろの席の先生が
笑いをこらえながら、「まあまあ」みたいなジェスチャーしてて。

「いけない、そもそも怒らせるようなことをしたんだった」
と反省して、ちゃんと態度を改めたりもして。

そうすると、「わかればいいんだ!」みたいになって終わって、
「まあまあ」としていた先生が、イイね!してくれたり。
先生も、多分日頃苦労してるんだろうなと、すこし同情しながら
教室に帰りました。

そう考えると、結局怒られても響く響かないは相手が誰なのか、
とかタイミングにもよりますね。
相手が怒っているのは分かるし、悪いことしたという自覚もあるけど
どうしても素直に受け入れられなかったり。

配信をするようになってから、表現について考えることも
多くなってきましたが、怒りや悲しみ等、どちらかというと
負の感情の方が、考えないといけないのかもしれないと思います。

それにしても、何故あんなに長いこと、怒りの感情を
保てているのか、不思議で。

怒っている⇒自分の疑問を解明したいに変わっているのかもしれないし
こちらに非があるのならば、それに付き合うというか、
向き合うのも当然と言えば当然とも思いますし、
間違っていたと思えば、ちゃんと謝罪もします。

でも、だんだんその事じゃなくて、考え方の違いについて
「こういう時は、ああいう時は、そういえばあの時は」
みたいになってくると、それも今じゃないとダメ?って
ついこちらもそうなってしまうのです。

私は感情が長く続くことがないので、それこそ
「どういう感じでそういうふうになっているの?」
と聞きたいくらいではあるのですが、「そういう人なんだな」
と結局なるので、それも長く続かず。

結局、ああまた違う方に話が向いていっている
と思いながらも、考えて答えて、納得してくれるのを待ちます。

部屋に帰って疲れたと感じます。
家族と言っても他人なんだもんな。
ケンカの度にしみじみと実感する事です。



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