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032 文化は百姓

文化は百姓
 どうしてカルチャー(文化)は、田畑を耕すから転じて、心を耕す意で発展していったのだろうか。
 田畑を耕すように心を耕すのが文化の本質にある。でも、そういってしまえばそれまでであるが、しかし、それでは違う気がする。素直に考えれば、田畑を耕せば、心も耕されるであろう。また、そう感じた人が多かったので耕作が文化の意で浸透したのだろう。単なる洒落だけではない。実際自家用の田畑を耕せば、いろいろなことを自問自答してしまうものだ。そして、それが個人の文化の芯となっていくのである。
 どうして、心を耕すことを肯定してきたのだろうか。
 心を耕すとは、心の柔軟性を作ることに他ならない。言い換えれば、しなやかな心を作ることである。それは、折れない心でもあり広い心にもなる。そして最終的には優しく強い心に通じる。田畑を耕すことは、つらく楽しく、大変なようで心地よく、適度にやれば、飯が美味くなり、よく眠れ暮らしに通じている。これは百姓の暮しそのものである。百姓をしていれば、だれにも頼らないで生きられるという気持ち(尊厳)なれる。それは、生きていく上でなによりも強い芯になる。
 文化は百姓に通じ、百姓は尊厳に通ず。文化とはそんな尊厳を伝えるものではないか。いやそうでない。より正確に表せば、文化とは伝わる尊厳なのである。

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