『青』
僕らの目の前に広がる青いさざ波。
その光源は音を立てない。
夜の砂浜で耳に響くのは、ただただ打ち寄せる波の音だ。
ざざーあ、ざざーあ、という規則的な音とともに、それに乗った青い光が多重に押し寄せる。その青い光は、波の先端の小さな渦たちに乗り、上に下に揉まれているだけで、自ら音を立てたりはしない。音も立てず、青い光を放つこと一点のみにおいてその存在を主張する。
夜なのに、海面に光る青が一番強い。
人工的な灯りのない海で、月や星がどうだとはよく言うけれど、これほどに近い距離で見れる自然の光も悪くないと思う。
青い光を放つ波に足を突っ込むためにサンダルを履いてきた。
5月の海はまだ冷たいのだが、光る海を見たのは人生で初めてだった。その興味が僕らの足を動かす。
「うおお。すげ、まじで光るじゃん。これどうやって光ってるんかな。」
化学を専攻しているあいつは嬉しそうだ。
「知らねえよ。ずっとこういうもんだぞ、ここの海は。」
生物学を専攻しているお前はそれを知っていてくれ。というか、地元だろ。
大学生の男4人で、夜光虫を見るためにチャリを漕いだ。僕らの住んでいる町から砂浜まで。これだけのために1時間を使った。
GW明けのこの浜辺では、夜光虫を見に来るカップルが岩陰にいるという根も葉もない噂があるらしい。僕はそれを信じていたわけではないし、人っ子一人居なかった。まあ、そのようなカップルがいたところで、僕には関係無いのであろうし、数学科の僕でも夜光虫には興味がある。
僕らが、サンダルを履いた素足を水面に突っ込むと、その物理的刺激によって夜光虫が青く発光する。彼らが光り輝くのは繁殖活動のためではない。物理的刺激によって発光する生物の種は少ないらしい。
夜光虫は体長1〜2ミリほど。
海洋プランクトンの中では大きな部類だという。それらが沢山存在する海面に足を突っ込んだ場合、足にはどういう感触があるのだろうと、気になった。恐らく、その興味は僕ら全員に共通する物だったらしく、全員で青く光る夜の海に入った。
みんなで青い光を後ろに引きながら、膝まで浸かっていく。
「うわあ。マジで光るなあ。でも、全然感触無いんだけど、なんだこれ。もっと足に当たるんかと思った。」
化学専攻のお前は小さい物を見過ぎている。むしろ1ミリなんて巨大だろ。
「知るかよ。ずっと昔からここでこの時期に光ってるんだから。」
お前は、生物学に興味を持つきっかけがコレだったんだ!とか嘘でもいいから語っとけよ。
足だけでなく、手を海面に突っ込んでみる。
水面辺りでばしゃばしゃと動かすと、僕の手の動きと輪郭に合わせて青白く光る。
「すんげえなあ。もっと近くで見たら一匹一匹見えるもんかね?」
先程より弱く、ぱちゃぱちゃと水面を揺らしてみる。
「うお。光るわ、光る。すんげー。」
その動きにハマってしまった僕は水面に顔が付きそうになるくらい近くで、自分の手と青く光る夜光虫が混ざり合うのを見ていた。あまりにずっとぱしゃぱしゃと僕が鳴らして覗き込むものだから、化学のやつと生物学のやつが、それを覗き込みに来た。
その青色を3人で楽しむ。
ぱしゃしゃ
ぱしゃ
ぴしゃしゃしゃしゃ
ぴちゃぴちゃ
ぽちゃちゃちゃ
ぽちゃぽちゃ、ぽちゃちゃちゃ
しゃしゃちゃちゃちゃ
ぱしゃしゃ、ぱしゃしゃ
じょぼ
じょぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ
「おおおおおおおおお。すげええええ光るぜええええ。俺のおおおおおしっこおおおおお光ってるぜええええええ。」
お前の専攻は言わないでおいてやる。名誉のために。
「おまえ、ばかか!」
僕ら3人のうち誰がそう叫んだのかは、もうどうでも良くて、小刻みな青い波紋から必死に遠ざかった。必死に足を動かしても、ざぼざぼと音を立てるばかりで全く前に進まない気がした。こういうときに限って、水圧はめちゃくちゃな仕事をする。
背後から、青い海に轟く叫び声。
「ああああ!いてえ、痛ってえええええ。塩が塩があああああ。」
ここにあるのは海水だ。お前はどこをどの順番で触った。
「あいつ、GWで彼女と泊まりに行くって言ってたよな?何の化学反応起こしてきたんだろうな。」
「しらねえ。帰ろう。」
自然の波の上に、青い人工的な波紋を作りながら、叫ぶやつが迫ってきている。もう帰ろう。チャリで帰ろう。4人で帰ろう。
(おしまい)