社会にまみれる感情と禁欲ーープロ倫の感想の続き
以前からウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んでいる。その感想の続きだ。
感情的で理論の一貫性に欠ける敬虔派の浸透カルヴァン派が恩恵について未来に確証しようと内的思索に集中したのに対して、その内的思索の力を敬虔派は現在に移して感情的になった。カルヴァン派が職業労働によって確信しようとしたのに対して、謙遜と砕かれた心(Gebrochenheit)が理想とされた。このように敬虔派はカルヴァン派と比べて合理化の強度が弱められたといえる(pp.251,252