傾聴力が過小評価されていると思っていて
こんにちは、かなヲです!
今日はこんなタイトルで書き出してみました。
傾聴力っていうのは、「耳を熱心に傾けて相手の言葉、会話を聞く力」のことです。簡単にいうと聞く力です。傾聴力がある人のことを聞き上手なんて言ったりもしますよね。
傾聴力と対をなすものとして、発言力があると思います。ここでいう発言力は、立場や状況にかかわらず、自分が正しいと思った考えなどを発言して意見を出す能力みたいな意味で使っています。
今日は、発言力と傾聴力という対をなす二つのスキルについて最近引っかかっていることを書いていこうと思います。
傾聴力って過小評価されてない…?
まず、最近よく思うのが、発言する能力ばかり着目されるけど、あんまり傾聴力が過小評価されているという現実です。
仕事でも、発言力のスキルばかりが重視され、「発言できる人が偉い」という見方が一般的である気がしています。
会社では、既存のやり方と異なる意見を出すと、様々な理由をつけて反対する、変化を好まない人たちがいます。
また、高圧的な態度の人が多いような、心理的安全性の低い職場環境では、人は思うことが心のうちにあっても、物言わぬ傍観者になってしまいがちです。
たとえ組織全体にとって最適な提案であっても、批判や議論などを避けるため発言を控えてしまう。そんな場面を今まで、何度か目にしてきました。
こういう時に話し手の発言責任を全うせよ!というような見方もあると思いますが、聞き手の傾聴力にも問題がある場合も多くあるなーって思います。
このような状況からも、傾聴力というスキルが社会でも過小評価されてるんじゃないかなって思ったりしてます。
意見が発生する定義
傾聴力と発言力から生まれるものは何か。それは仕事における「意見」です。
一人の人間が持つ傾聴力と発言力を100点満点で数値化して表現するとすれば、意見は次のような条件で生まれると思っています。
例えば、いかなる立場や状況においても正しいと思ったことを発言できる人の発言力を100にするなら、その人は意見を形にすることができます。
また、どんなに気になったことでも発言しようと思えるような傾聴力MAXな人がいれば、自分に自信がなくて発言力が低い人でも、思っていることを引き出せると思います。
したがって、意見というのは、対話をする聞き手側と話し手側の、傾聴力と発言力の総和によって生み出されるようなイメージを僕は持っています。
傾聴力がより大事だと思う理由
このような定義から、自分はより成果を出せるような組織を作る上で、話し手の発言能力以上に、聞き手の傾聴能力が重要なんじゃないかなと思っています。
基本的に、コミュニケーションは1:Nの関係です。つまり、自分に対して複数の他者が存在してコミュニケーションは成り立ちます。
ここで、各個人の意見を出す能力を同じだと仮定すると、この世の中の意見の大半はN/(N+1)の確率で他者から生まれます。つまり、ほとんどの意見というものは、圧倒的な数の他者から生まれます。
自分の傾聴力をできる限り高められれば、他の人の持つアイデアを意見という形にすることができるので、傾聴力というスキルはもっと評価されるべきスキルなんじゃないかなと思っています。
まとめ
もし将来、自分が組織やチームを作るとなった際には、傾聴力がある人材というのは評価するべきだと思うし、今後自分も傾聴力のスキルをもっと高めていきたいなと思いました。そして、社会の中で傾聴力がもっと評価されることを願っています。
ここまで読んでくださりありがとうございました!