あなたは”なぜ”リハビリをするのですか
私たちの目の前には、いつも様々な選択肢が転がっている。一つひとつの道がどんな結果に行きつくか、そればっかりはわからないけど、少なくとも選ぶことは出来る。もちろん選ばないことも。
例えば、もっと高い場所から世界を見たいと思えば、木登りの練習をすることだってできるし、風のように早く走りたければ、足のトレーニングをしたっていい。
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私は理学療法士だ。病院で働いていたときは、ケガや病気になり入院していた方や、小さく生まれたり先天性疾患や出産時のトラブルでNICUで育っている赤ちゃんたちに”理学療法”を提供するのが仕事だった。
私は、一度も患者さんやご家族に聞いたことがない質問がある。
あなたは、なぜリハビリテーションを受けるのですか?
ということだ。
それは”やるものだ”という暗黙の了解なのか
リハビリは辛いより楽しい方がいい。そう信じて今までやってきていた。家族だって、きっとそうだろう、そんな風に何となく考えてた。
そもそも今って、リハビリの内容や雰囲気は子どもや家族のQOLに影響があるってわかってるんだっけ?(きっと辛いリハビリは良くないってわかっているはずだ)と気軽に文献サイトで検索してみて驚いた。まぁ出てこない。
リハビリ、理学療法に対する満足度や、それに伴うストレスの増減、生活の質に対する研究が、まぁされてない。
小難しいことを言いましたがつまりこれは
リハビリは障害をもって(もしくは先天性疾患をもって)生まれた子どもたちがリハビリテーションを受けることは当たり前で、そこに疑問の余地はない
と専門家側が判断しているんだなと私は解釈しました(おそらく中途障害の成人障害者でも同様のことが見られるのかもしれません)。
これってすごい傲慢だ。どんなに良いものだって、その決定権は本人やそれに準ずる人たちであるべきなのに。
”患者失格”
そんな感じで体制を批判することは簡単なのだけど、じゃあ自分の問題に置き換えた時に、私自身はどうだっただろうかと考えてみる。
病院勤務時代に、直接リハビリテーションを受けることを拒否されたことはないけど、もしそうだったら、と想像してみる。子どもにリハビリを受けさせることを拒む家族がいたとしたら、私はどう感じただろうか。
”ちょっとあの人やばい”
そんな風に思ったのではないか。医療者が当たり前のように引いたレールから意図的に反れていくような人たちは、”なんかやばい”と。実際、この家族はクセがあるな、なんて会話を一度もしたことがないといえば、嘘になるし。
それって、患者失格の烙印を、医療者が無意識に押してしまっているということ。そんな状態で、本当に患者自身が”選択”を出来るのだろうか。自分の人生を生きるのは、その人なのに。
決定する権利と、それに応える責任と。
とはいえ、世の中には多くのセラピストが本当に真剣に真摯に、患者さんや家族と向き合っていることは知っている。彼らの行うセラピーが効果がないなんて全く思っていない。
ただ私は、
女子にモテたいからまっすぐ立ちたい
友達と鬼ごっこしたいから車椅子を早くこぎたい
可愛い服を着せたいから関節を柔らかくしておきたい
そんな、”シンプルな希望”や”不純な動機”でリハビリを受けることを一人ひとり、ひと家族が決定できるようになればいいなと、そう思うのだ。
なりたい姿があるから、希望する。
私たちがそれに応える。責任をもってサービスを提供する。そんな風に。
あなたがリハビリを受ける理由はなんですか。