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探偵少女アリサの事件簿 溝ノ口より愛をこめて
探偵少女アリサの事件簿 溝ノ口より愛をこめて
東川篤哉
おもしろかったです。
若干10歳の自称名探偵、綾羅木有紗と、子守&ワトソン役の便利屋家業の青年、橘良太のちょっと変則的なバディもの。
カジュアル推理小説と言えば良いのか、東川先生の軽妙な語り口は、読書の障壁をグッと下げてれます。
特筆すべき点は、若干10歳の天才探偵、綾羅木有紗の
「1:天才的な推理力」
「2:大人を手玉にとる小悪魔的なしたたかさ」
「3:年相応の無邪気さ」
「4:負けず嫌いから来る、不相応な幼稚さ」
をいった、複雑で繊細なキャラクター像を魅力的に書き切っているところ。
・・・と言いたいところですが、正直なところ、作劇の都合でしゃべらされている感じの方が強く出てしまっているのが残念でした。
作品の構造として、有紗が解いた謎を、相棒役の青年、橘良太が代弁をして物語を運ぶスタンスなのですが、前述した4種類の性格の役割分担が、徹底し切れていないように思えます。
特に、
「1:天才的な推理力」
「2:大人を手玉にとる小悪魔的なしたたかさ」
は、相棒の、橘良太の前のみで見せる特性とすべきではなかったのでは無いでしょうか。コナンくんが、一般人にこれらの顔を見せないのと同様ですね。
あと、やっぱり、コナンくんみたいな高校生(大人)が子供になっているのではなく、本当の10歳の少女が、殺人犯との捕物劇を行うシーンは、読んでいて本当に危なっかしく「リアリティの欠如」を感じてしまいました。
冷静に考えると、薬で小さくなっているコナンくんの方が、圧倒的にリアリティが欠如しているのですが、そのフィクション要素が、却ってリアリティーを晦ますファクターになっているのだと思います。
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ここからは完全に余談なのですが、リアリティつながりで、もう一つ感想を。
冒頭、スーパーで働いていた橘良太は、「オイルサーディン」を、発注ミスで2000個も注文してしまい(24を2千と読み間違えた)、その損害の責任を取る形でスーパーをクビになってしまいます。
彼は、プリンの過剰注文によるピンチをSNSで拡散し、無事プリンを売り切るエピソードと比較し、オイルサーディンなんてマイナー食材だから売れなかったと嘆くのですが、私は、ここに一切感情移入ができませんでした。
なぜなら、私の妻は、コンビニで「鮭の中骨水煮缶」を、発注ミスで240個も注文してしまった(10個と10ケース(24個入り)を読み間違えた)ミスを経験しているからです。
桁こそ1つ少ないものの、結構な数のマニアック商品。
しかも、スーパーよりも客数が少ないコンビニでの発注ミスです。
妻の場合、レジ横のピックアップ商品にしたり、お酒を買うお客さんに逐一オススメする地道な努力で1週間足らずで売り切ったそうです。
売り切れる頃には結構な人気商品になってしまい、在庫をさばき切ったあと、お客さんから「美味しいのに、なぜ売らなくなったの?」と、問い合わせもあったとか。
SNSが全く無い、20年以上の前の出来事です。
探偵少女アリサの事件簿の、オイルサーディンのエピソードを妻に話したところ、
「賞味期限が長い缶詰よりも、消費期限が短いプリンの方が絶対大変!」「リアリティがなさすぎる!」
と、一蹴されてしまいました。
事実は小説よりも奇なり
貴重な体験を、割とどうでも良いエピソードで体験してしまいました。
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