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【連載小説】 ともだち Chapter4
Chapter3 はこちらです↓
加賀は人が集まっている場所を避けるため、遊具エリア近くの出口から出るのを断念し、公園の反対側にある出口へと向かっていた。
「いやー、怖かった…あんな不審者を見る視線を大量に浴びるの初めてで…」
『ふふふ…あんなところで、あんなことする人、オレも初めて見たよ…』
言葉は呆れているようでも、声色は朗らかで、むしろ尊敬の念を含んだような響きさえしている。先ほどよりも少し綾人の心が和んでいるように思えて、加賀は安堵した。
『でもね、なんか嬉しかった…オレも多分、変態だな。』
「オレもってなんだよ。僕が変態みたいな言い方しないでよ…」
二人は笑った。
この公園は林を有するほど広大だ。そのため、単に公園の反対側と言っても歩いて20分はかかる。夕飯の時間までには戻ろうと思っていた病院はどんどん遠くなってしまうが、人目を避けるには仕方なかった。
『これからどうする?』
綾人の少し心配そうな声が頭の中響いた。腕時計もスマホもないため、はっきりとした時間はわからなかったが、公園の遊具エリアを出る時には15時すぎだったから、病院を出てから三時間以上は経っていた。
午後の検温があったはずだから、おそらくもう病室にいないことがバレていて、もしかしたら大騒ぎになってしまっているかもしれない。だが、綾人の抱える傷について知ってしまった今、このまま病院に帰っていいものかどうかもわからなくなっていた。
身元が判明してしまえば、彼が住んでいた地域に戻されてしまうのではないだろうか。ここにくる前、養護施設で生活していたならまだいいが、両親のもとで暮らしていたなら、過酷な環境に再び身を置かなくてはならなくなる。
「今日は病院には戻れないかもな…というか、何か解決策を見つけられない限り、病院には戻りたくないな…」
『どう言うこと?』
不安そうな綾人の声が続いた。彼が何に対して不安を抱き、怯えていたのか概ね理解した今、加賀はあまり彼を心配させたくなかった。
「僕が綾人と一緒にいたいから、今日は病院には戻らなくてもいいかなって思ってる。わがまま言ってごめん。」
『え?暁人、オレと一緒にいたいの?』
「うん。」
『ほんと?』
「ほんと。だから、君がこの先もこの街にいられる方法がないか考え中。」
『…オレ何もできないよ。オレなんかが近くいて…迷惑じゃない?』
「全然。なんで、迷惑なんだよ…」
綾人が静かになった。だが、その静けさは先ほどまでの息を潜めたような沈黙とは違っていた。次に綾人が話し始めるまで、そっとしておこうと加賀は考えた。
その時、ふと、先ほど久しぶりに会った山口先生の言っていたことが頭に蘇った。加賀が小学生だった時の『望み』について、先生が語ったときの言葉だ。
『あなたの歩み寄りに感謝です。ありがとう。』
それは加賀の顔を見ながら言ってはいたが、彼女の瞳に映っていたのは、狭山綾人の姿だった。つまり、先生は綾人に対して礼を言ったことになる。
あの事故の日、転倒した加賀の元に綾人が駆け寄ることがなかったら、今のこの状況にはなっていない。仮に綾人がいなければ、加賀一人が犠牲となり、綾人が事故に巻き込まれることもなかったろう。
その場合、今のような経験もなく、山口先生の記憶に残っていた加賀の望みが叶えられることもなかったはずだ。『山口先生、やっぱりすごいな…ありがとう、先生…』加賀はとりあえず、今進むべき、目先の方向性が定まった気がした。その時頭の中で綾人の声が響いた。
『ね、暁人…本当にオレ、ここにいていいの?』
「綾人…ありがとね…」
『え?なんで?』
予想外の感謝の言葉に綾人は首を傾げた。体や金を貸したようには見えるが、実際にはそうするしかなかった状況で、意思と関係なくそうなったという結果にすぎない。体は、動かすことができるのが加賀だけだった。金にしたって、自分の所持金から加賀の好きなものを食べていいとは言ったが、自分の肉体が必要とした食事だったから結果としては、自分のために使ったようなものだ。
「僕の友達になってくれて、ありがとう。」
『え?そんなこと?』
「そんなことじゃないよ。僕にとっては、初めての、外の世界の友達だから。」
『…でも…この状況だからな。友達にならないなんてありえないんじゃない?』
「そんなことないよ…誰とでもこんな風に楽しく過ごせるもんじゃないよ。それに、いろいろ教えてくれたり…僕に興味持って質問してくれたり…」
言葉は返ってこなかったが、嬉しそうな「ふふふ」という笑い声が頭の中に響いた。
「さっきさ…山口先生が君にお礼を言ったのを思い返して、忘れていたことを思い出したんだ。」
『…忘れていたこと?』
「そう…確かに僕は、小学生の頃、先生が言ってたみたいに、自分に与えられた環境の外の世界の人たちとも知り合って交流したいという願望があった。だけど、叶わなかった…一人じゃできないんだってそのうち気づいて…方法がわからなくて、諦めたんだ…」
『意外…あんなに積極的で出来るまでしつこい暁人が諦めることなんてあるんだ?逆上がり出来るまであんなに必死にやる大人、初めて見たよ。』
二人の間にしばしの間、心地いい笑い声が流れた。先ほど遊具のところで綾人の指導のもと、必死になって逆上がりを練習していた加賀の姿を思い出していた。おそらく、この体は明日には相当な筋肉痛になっていることだろう。逆上がりの話に一区切りがつくと、加賀は続けた。
「まあ、逆上がりみたいに、一人でやることはいつまでも挑戦できて、出来るまでいくらでもやればいいけど…人と関係することは挫折や諦めることが多かったよ。」
『…確かに…人との関係は…難しいね…』
ここで一度加賀は言葉を切った。頭の中を整理してから丁寧に話したかった。ここからの失敗は許されない。この機会を逃してしまったら、次に機会を作ることができるかわからない。アプローチを間違えれば、また彼が沈黙してしまうかもしれない。加賀は自分自身にプレッシャーをかけた。
「…あくまで、ここからは僕の視点というか、感覚になるからみんながそうじゃないという前提で聞いてくれる?」
『どしたの?急に改まった言い方して…』
加賀は一言、「ちょっと待ってね…」と言ってから一つ大きく深呼吸をした。今まで認めないようにしていた気持ちに加賀も向き合おうとしていた。自分自身の本心を素直に人に曝け出すのは初めての経験だった。
「あの日、君が手を差し出してくれた時、ありがたいとはもちろん思ったけど、同時に、『またか』ってうんざりする気持ちが強かったんだ…」
『…』
ここまで半日関わってきた加賀の態度からはまるで想像することができなかった後ろ向きと取れる彼の言葉に、綾人はどう相槌を打っていいかわからなかった。
「綾人に対してじゃないよ。僕自身に対して…情けなくてさ…自分自身が…」
『なんで?暁人は全然情けないなんてないよ…』
弱気とも取れる突然の加賀の言葉に、綾人はいい知れぬ不安を感じ、思わず口を挟んでいた。ポジティブで自分を気遣ってくれて、引っ張ってくれている感覚のあった加賀の弱い姿を見るのが怖かった。
「まぁ…聞いて。」
『ごめん…』
「二歳の子供でも、転べばすぐに自分で立ち上がれる…僕の体では…どんなにリハビリをしても…難しかった。」
『…』
「手を差し伸べてくれる人がいることはとてもありがたいし、感謝しかない…でも、同時に、僕みたいな人間に貴重な時間を使わせてしまって申し訳ないとも思う…この話、続けても大丈夫?重いかな?」
『いや、そんなことない。暁人のこと知りたい。続けて。』
加賀は嬉しそうに微笑みながら、綾人に感謝の気持ちを込めて右手を左胸にそっと当てた。
「転ぶとさ、恥ずかしいの…人の視線を集めたくなくて、早く立ち上がらないとって思うと…余計にね…」
加賀は、生前の自分を思い出しながら、一言一言噛み締めるようにして言葉を続けた。
「一人で何とかできることもあったけど…でも、毎回成功するとは限らなくて…最終的には誰かに手伝ってもらわなくちゃ立ち上がれなくて…で、手伝ってもらって、立ち上がって、お礼言いながら…虚しくなる…」
『…』
「…普通の人ができることが、僕にはできないということが多い…自己嫌悪にもなるし…自分が社会的に弱い人間なんだって…再認識させられる…心の中に格差ができる…惨めな気持ちも膨らんで…人を喜ばせることが僕にできるだろうか…って…悩んだり…何もできないことが申し訳ない…必要とされることができるようになりたい…っていう気持ちは社会人になってからさらに強くなってた…」
しばらく二人の間に沈黙が訪れた。綾人は、前向きだと思っていた加賀の告白にショックに近いものを感じていた。
だが、綾人自身の経験からも、自分の弱い姿を人に見せるということは簡単なことではないことをよく知っていた。それを今、加賀が自分に見せている。それは加賀の芯の強さをみているようでもあった。更には、綾人を信頼している証のようにも思えた。しかし、どう言葉をかけていいのかわからないでいた。すると、加賀は続けた。
「あの日も、一瞬、『またか』って自己嫌悪になりかけた…そこに…車が突っ込んできた…こんな僕なんかのせいで命を落とす人がいたらダメだって…必死に君を突き飛ばした…でも…ごめんね…」
『なんで、謝んの…?』
「君がここにいるおかげで、僕は…楽しい時間を過ごしてる…今まで挑戦できなかったこともたくさんできた…周りの人には…僕は君の命を救ったように見えているようだけど…結局僕は…君の体を乗っ取ったみたいになってる…もしかしたら、自分のために君を突き飛ばしたのかも知れない…これでよかったのかなって…正直今…反省してる…」
真摯な言葉に綾人は胸が締め付けられるような気持ちになった。彼がそんなに申し訳ない気持ちになる必要なんてないのだ。なぜなら…。
『暁人がそんな悩む必要ないんだよ、だってオレはあの日…』
綾人の心の中で何かの一線を超えた感覚があった。暁人だけが弱いのではないと伝えたくなった。更に、自分のことを暁人に知って欲しくなった。何も意識することなく、自然に言葉が綾人の口をついて出ていた。
『…全て終わらせようと思ってた…乗っ取ったなんてことない…だって…いらない体だったから…』
加賀は目を見開いた。『やはり…そうだったか…』見立てた通りだった。綾人が話をやめてしまわないよう、加賀は静かに彼の言葉を待った。
『…だから…スマホも身分証も保険証も…ぜーんぶ捨てて…この街にきたんだ…ここは中継点で…終着点は…もっと奥地を目指してたけど…でも…』
「でも?」
『今は…あの時…暁人に突き飛ばされてよかったって…思ってる…オレも今…楽しい…』
「本当?」
『ああ…ほんと…』
「ありがとう…」
『何だよ…お礼言うのはオレの方だろ…突き飛ばしてくれてありがとうっていうのもなんか…ドMっぽくておかしいけど…』
加賀が「確かに」と言ってから二人は少しの間クスクスと笑い合った。「でも、僕が言いたいのは…」と言って、加賀は続けた。
「あの日…僕らが出会う、あの事故が起きた日まで…ちょっと大袈裟な言い方しか思いつかないんだけど…その…」
『なに?』
「…生き抜いてくれて…ありがとう。」
『…大袈裟だな…』
「…だから、言っただろ…ごめん…でも、ちょうどいい言葉が見当たらなくて…」
『… 』
「とにかく、途中で諦めないで…ここまで来てくれて…ありがとう。」
『…うん…』
それから二人の会話は途切れた。しかしこれ以上、今は話す必要はないと加賀は感じていた。綾人のここに来た目的が知れただけでも、加賀には十分だった。会話がなくても、不思議と何も気まずさはなかった。おそらく、相手も同じ気持ちなのだろう。互いがそう心の中で思い合っていた。
ようやく公園の出口が見えてきた。出口付近の広場には大きな時計が備え付けられたモニュメントが立っていた。時間はすでに16時近くになっていた。
本来であれば、入院中の病院に帰るべきなのだろう。しかし、病院から消えたことで、警察が動いている可能性は高いと加賀は推測していた。
香夜という警察官が病室を訪れていたことも気がかりだった。未成年と思われる人間が身元不明だったからということが大きいだろうが、病院から綾人の身体中の傷跡についての連絡も行っていたはずだ。だから、二人が巻き込まれた事件が解決しているにも関わらず、普通以上に警察が気にかけていたのかも知れない。
しかし、仮にそうであれば、香夜に連絡をして、状況を話せばいい方向に話が進む場合も考えられる。だが現状、体は綾人で実際動かせるのは加賀だ。こんな複雑で非科学的な現象を簡単に信じてもらえる気がしなかった。
最悪のシナリオは、信じてもらえない上に、元の家庭環境に戻される場合だ。加賀が体の主導権を握ったままならまだマシだが、いつまでこの状況かわからない。突然綾人が元に戻ってしまったら、地獄に落とされるようなものだろう。そう考えると、香夜に連絡するのも気が引けた。
加賀が一人で考えを巡らせていると、彼の考えそうなことがわかるのか、突然、綾人が声をかけた。
『今日病院で会った、警察官の香夜さんと連絡を取ろうとしている?』
「よくわかったね。」
『暁人真面目な人だからね。なんか、そんな気がした。』
「相談相手がいて、心強いよ。どうしたらいいと思う?」
『オレなんかに相談しても、答え出ないんじゃね?』
「そんなことないよ。綾人がどう考えてるか、知りたい。」
『へへへ』
嬉しそうな、照れくさそうな、得意げにも取れるような笑い声が頭の中に響いた。その声に加賀も幸せな気分になり、つられて笑顔になった。
『オレはこのまま外にいたい。』
「…了解。」
やはり、警戒しているのだろう。だが、綾人の考えと同じことが確認できて、加賀の迷いはなくなった。病院には戻らず、行けるとこまで行こう。そのうち何かいい方法が見つかるかもしれない。
『残金どれぐらい?』
「7,900円ぐらいかな…。」
『ネットカフェ行く?』
「行ったことないんだけど、身分証なくてもいけるのかな…」
『それかカラオケボックスとかゲーセン?』
「僕は利用したことないからいくらかかるかイメージ湧かないんだけど…」
『オレも深夜利用したことがないからわからないな…でも、割高にはなるだろうな…』
幸い、二人が今いるのは大都市だ。二十四時間営業の店舗を探すことはそれほど難しいことではないだろう。とりあえず、ゲームセンターでしばらく時間を潰し、眠くなるころカラオケボックスに入ることに決めた。
まだ夜になるまで時間がたっぷりある。季節の変わり目で移り変わりを迎えた街路樹の様子や風の匂いと温度、次第に色づく空、雲の流れ、次々と目を覚ますように点灯し始める街頭、賑やかになる繁華街の雑踏、加賀はそれらを五感で楽しみながら、駅の方に向かってゆっくりと歩き出した。
暗くなり始めた街中に、クレーンゲームの台が並ぶウィンドウが一際明るく輝き始めた。明るいブルーを基調とした近未来的な光が景品を照らす。その光に引き寄せられるように、柊美月は瞳を輝かせながらウィンドウに近づいた。
「ね、ちょっとやっていかない?」
彼女は返事を待たずにゲームセンターのゲートをくぐり、璃玖は苦笑いで追いかけた。
しかし表情とは裏腹に、美月が遊びやすいように、無言で彼女が手に持っていたバッグに手をかけた。
「はい、これ、持っててやるよ。」
「すごい、ありがとう!」
美月は嬉しそうに笑顔を返すと、小銭入れだけ出し、璃玖にバッグを預けた。
「でも…お前…言葉間違えてるぞ…」
「そう?」
「『ちょっとやっていかない?』っていうのは、相手の答え待つ時に言うやつだ…」
「…そうか…ごめん…」
彼女は少し上の空で、どのクレーンゲームの台で遊ぶか品定めしながらそう答えると「あっ!これ!」と言って、大きなぬいぐるみの台の前に立ち止まった。そして、コインを機械に入れようとして、ふと顔をあげ、指を止めた。
店内のどこからか、流れてくる気配に違和感を感じていた。岩が点在する川の中に一際大きな岩石が横たわり、水流が大きく割れているような、そんな感覚だった。璃玖がどう感じているか気になって、彼女は後ろにいる彼の方に顔を向けた。
「…ねぇ…」
「ああ…言いたいことはわかるけど、ほっとけよ…悪いもんは感じない。」
まるで璃玖の助言が聞こえなかったかのように、美月は対象を特定するため、周囲に視線を走らせた。
「どこにいるんだろ…」
「おまえ、人の話ちゃんと聞けよ…」
この展開は確実に首を突っ込むパターンだ。こうなってしまってはもう、好奇心の強い美月を止めることは無理だろう。先が思いやられる。璃玖はため息をもらしたが、美月には全く届がない様子で、彼女は周囲に意識を集中していた。
「今まで経験したことがないケースね…一箇所に意識体が二体同居しているみたいな感じかな…。」
「研究者かよ…論文書きそうな勢いだな…」
「浮幽体も、怨念とかも…引き寄せてる感じがない…縛霊?…いや…生きた肉体に宿っている状態…?」
「あのさ…俺が言うのもなんだけど、少し金になるようなやり方考えろよ…」
璃玖の言葉に美月は優しくクスッと笑って、一瞬彼の方を見やった。
「なんだよ。」
「天狗らしからぬ俗世にどっぷり浸かった物言いじゃない?」
『仕方ないだろう』と言った表情をしながら璃玖は目を瞑って首を二、三回横に振って見せた。
「俗世にどっぷり浸かってるのは誰のせいだよ…四六時中一緒にいると…心配になるんだよ。仕事として成り立たなかったら人としてまともに生きていけるのか?」
美月は柔らかい表情を璃玖に向けた。やたら人情の強い変な天狗だ。しかし、彼との会話から感じる、守られているような感覚が心地良くもあり、ありがたかった。美月から離れ、どっぷり浸からない選択肢もあるはずなのに、そうしない彼の姿が頼もしくもあった。
「大丈夫。お父さんが十分すぎるくらい残してくれてるから。」
「巽、どんだけ働いたんだよ…」
「仕事が趣味みたいな人だったからね。」
「あいつらしいな…とは言え、無尽蔵じゃねぇだろ。もう少し自分の将来…」
「…保護者」
美月は面白くなさそうに膨れっ面をしてみせて、視線だけギロッと璃玖に向けた。その表情に璃玖は「頑固者」と言いながら口をへの字にしてお手上げといった表情をして見せた。美月はそれを見ると少し楽しげに目尻を下げ、いつもの無邪気な様子に戻った。
「一人前までは程遠いからね。こんな状態で仕事なんて言ったら詐欺の領域じゃない?」
璃玖は少し吹き出した。今までこなした案件を思い起こせば確かに彼女の言う通りだ。
なんだかんだ、周囲の尽力もあり、収束に漕ぎ着けているものがほとんどだったが、型破りすぎて、同業者と言える幼馴染の鏑木宗馬さえ眉を顰める仕事ぶり。案外自分のことがよく見えているんだなと璃玖は妙に感心した。
美月は注意を周囲に戻すと、集中を解くことなく、店内にあるゲーム機一台一台を視線でなぞった。そしてクレーンゲームエリアの様子に特に異常がないことを確認すると、さらに奥の方にある体験型ゲーム機の並ぶエリアにゆっくりと移動していった。
広いエリアには所狭しと大型のレーシングやシューティングのゲーム機が設置されていた。そこは、先ほどのクレーンゲームのエリアよりも、不自然な空気の流れが強まっていた。
美月は一台ずつ機材を観察してから「やっぱり縛霊じゃないか…プレイしてる人か…」と独り言をいって、今度はそこのエリアでプレイしている人に注意を向けた。
その時、少し離れた音楽ゲームエリアでプレイをしている男の背中に美月は目を留めた。彼女は視線を逸らすことなく、璃玖を片手でこまねいた。
「ね、ねぇ…あそこだね。」
璃玖は美月の横に立った。彼女の視線が捉えた男は、太鼓のゲームの前で喋りながら一人でプレーをしていた。
璃玖は少しの間、無言で男を観察し、少し眉をひそめた。確かに、間違いなさそうだ。黒のパーカーにジーンズ、ジーンズの後ろポケットには財布が入っていたようだったが、それ以外の所持品は一切見えなかった。
男は真剣にゲームに取り組んでいるが「どうしたらいい?」など、あたかも近くにいる誰かから、何かアドバイスを受けている様子で、満面の笑みを浮かべ『ゲームを満喫している』という言葉がピッタリだった。
その異様な様子のせいか、周囲のゲーム機にプレイしている人影はなく、周辺の音は、男のプレイ音と彼の楽しそうな声だけに支配されていた。
男の演奏は神がかったプレーからは程遠かったが、かなり間を空ける形で、何組かの客たちが様子を注視していた。店員同士が何か示し合わせているように会話をしている様子も見えた。
「不審者に見えるから仕方ないか…」
「いいよ、ほっとけ。未成年だろ。警察に補導させとけばいいよ。余計な問題に首突っ込むなって…」
「でも、この状態は補導されても解決しないよ…」
「おせっかい。」
「さっきまでの人間臭い発言どこにいっちゃったのよ。」
璃玖はやるせない笑みを浮かべた。やはり、美月を止めることはできないようだ。何か言うだけ無駄だろう。判断を任せよう。璃玖は彼女の決断を待つことにした。
美月は周囲の傍観者たちと、あちこちに点在して立っている店員の様子を目だけ動かして確認した。客の何人かが動画を撮っている様子と、店員のうちの一人が指示を出されてその場を離れる様子が見えた。想像するまでもなく、警察に通報するためだろう。そろそろ周りの雰囲気が限界だと美月は判断した。
彼女は「行っていい?」と璃玖の許可を求めるように、彼の方に視線を向けた。
「好きにしろ。」
少し勝手が過ぎて、璃玖を怒らせてしまったのかもしれない。突然の突き放すような彼の言動に、美月は一瞬にして顔を曇らせた。しかし、発見してしまった問題の男のことも気になる。彼女は複雑な表情で璃玖を見つめた。
「お前…俺のこと置き去りにして一人でどんどん突き進むからさ…」
「ごめん…」
申し訳なさそうに美月は俯いた。璃玖は少し拗ねていただけなのだが、必要以上に彼女に響いてしまっている様子を目にして、彼は胸にチクリと罪悪感のような痛みを覚えた。
「…冗談だよ…行けよ…なんかあれば援護する。」
それを聞くや否や、美月は安堵の表情を璃玖に向けた。だが心の中では自嘲していた。璃玖に対して保護者みたいな行動をとるなと言っておきながら、結局は彼の保護を頼りにしているなんて矛盾しすぎている。美月は少しイタズラっぽい笑顔をしながら璃玖の耳元に口を近づけた。
「ありがとう、おとうさん」
「…父親は巽の役回りだろ…冗談も大概にしとけよ。」
璃玖が不満そうな声を立てたあと、二人はお互いニヤッとした表情をして視線を合わせてから、男に近付いて行った。
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