好きならば好きだから好きだけど
好きなものを、好きと言えなかった時代があります。
……言わなかった時代に直すべきでしょうか。
おそらく今も変わってないんじゃないかとため息をつきたくなるのですが、小さい頃、小学生くらいの時は周囲と同じってことが異常に大切でした。皆が持っているものを持っていないこと、皆が持っていないものを持っていることは好奇の視線を集めたものです。だから、テレビになかなか出ない人や周りの同い年の子ども達に人気がない人を好きっていうのもおかしな目で見られてました。
で、いわば自己規制というやつですね、中島みゆき様のファンだってことは頑なに隠して学校生活を送っていました。文集の「好きな歌」の欄にはその時の流行りの歌を書いたりなんかして。
中学生の時に、うっかり一人の女の子に言ってしまったら、その子が
「変なのww」
という反応で、嫌がる私に変え歌を散々聞かせてきたので、それ以来、一言も言っていないです。
きちんと好きだって、周りに言えるようになったのは大学3年になってからです。ファンになったのは小学6年の時でしたので、9年くらい周りには黙ってたことになります。
ある日、LINEのアイコンを変えたんです。中島みゆき様の歌っている画像に。自分で動画から切り取ってきて、上手いこと編集して位置も整えて。
それに対する反応なんですけど、びっくりするほど、ありませんでした。
それは周りの人が良かったからなのか、それとも受け入れられないと思っていたこと自体が私の気にしすぎだったのか。いや、たぶん誰も興味がなかったからでしょうね。
でも、子どもの私があれだけ頑なに、あれだけ当時も好きだった中島みゆき様を隠すっていうのはそれだけの理由があったと考えたいんです。
今も昔も、きっと狭い子どもの世界の中で私しか持たない考え方と興味は枷でしかありませんでした。今も、そうかもしれません。それでも、持ち方次第でもしかしたら武器にもなるかもしれない。それが私の希望です。
好きなものを、好きと言えなかった時代があります。
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