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ハグについて

ここ1ヶ月くらい、友達がたくさんこっちに遊びに来たり帰ってきたりしていて、ハグをする機会がとても多かった。

日本ではまだしっかりとは根付いていない文化だけれど、ハグはいいものだなあと思う。

うちの家族はみんなばりばりの日本人なので、もちろんハグの習慣なんて皆無だった。(キスもしないし、「愛してる」も普通はあまり言わない、とギリシャ人の友達に話したら、「じゃあ、どうやって愛情をつたえるの?」と驚愕していた。日本人の愛情表現はたしかにとても分かりづらい)。学生時代には女子同士でわーっと抱きつき合ったりもしたけれど、文化としてのハグというものを学んだのは、20代でアメリカに住んでからだった気がする。

最初に留学した時、私はアメリカ人の女の子3人とハウスメイトとして一緒に住んでいた。

私は1人だけ外国人だったので、ちょっとはずれた立場でみんなと割とうまくやっていたのだけれど、アメリカ人の3人のうち1人はちょっと神経質なタイプの子で、掃除や家事のことについての文句が多く、他の2人からはだいぶ疎ましがられていた。

その彼女の叔母さんが、一緒に住み始めて数ヶ月経った頃に亡くなった。電話で知らせを聞いて大泣きしていた彼女は、その後もしばらくすごく落ち込んでいた。

ある週末の午後、キッチンに出ていったら、彼女がお昼ご飯をつくっていた。ちょうどそのタイミングで、他の2人も自分たちの部屋から出てきた。彼女の叔母さんが亡くなってから、たぶん初めてハウスメイト全員が同じ場所にそろった時だった。

彼女は黙ったままシンクに向かっていて、一瞬、ちょっと気まずい空気になりかけた時、残りの2人の1人、マリリンが明るい声で彼女に尋ねた。

「ハグされたい気分?」

それから、返事を待たずに続けて、「っていうか、私がそういう気分!」と言って、マリリンはぱっと彼女を抱きしめた。もう1人と私もつられて加わって、そのままみんなでぎゅうっとハグをした。

それから半年くらい4人で住んでいた間、その3人は決して仲良くなることはなかった。最後の最後まで、神経質な彼女はやっぱり家事や掃除のことで文句を言い、マリリンともう1人はそれについて文句を言い続けていた。でもその日の午後、キッチンで4人でハグをした時、私たちはみんな心からにこにこしていて、そこにはただ、あたたかくて気持ちのいいやさしさだけが満ちていた。

たとえ好きになれなかったり気が合わない相手であっても、意識的にハグをする、その瞬間だけは個人的な好き嫌いを超えて思いやりの気持ちを分かち合うことができる、ハグってすごいなあ、と私は心から感動した。

そして、そんな高度なハグを見せてくれたマリリンは、観察していると、決して無造作なハグはしなかった。ちゃんと相手を選び、タイミングを選んで、その瞬間その人にしっかりと向き合ったハグをしているのだった。

1年間一緒に住んで、私が日本に帰国する日の朝、それまでまったく平静な顔をしていたくせに、「またね」とハグをした瞬間にものすごい顔でぼろぼろと泣き出したのもマリリンだった。そんなにオープンに人前で泣くなんてできないと思っていた当時の私はすごくびっくりしたけれど、本当に嬉しかった。心をひらいて気持ちを表現することについて、私は彼女からたくさん教わった。

彼女が言った「ハグはからだ全部でするキスみたいなもの」は、すごくかわいくて素晴らしい定義だと思う。

もうひとつ、忘れられないハグがある。

これもやっぱりアメリカに住み始めた最初の頃、英語の練習をしたかった私は、大学の国際課の掲示板にあった「語学パートナープログラム」に申し込んだ。近所の教会が、英語の練習相手を紹介してくれるというものだった。

そこで私のパートナーになったのが、ヘルガとカールというドイツ人の夫妻だった。

ヘルガは当時おそらく60代前半くらい、カールは70代だったと思う。ドイツ人とはいえ、50年近くアメリカに住んでいるふたりはもちろん英語も堪能で、20代そこそこで初めて海外で暮らしている私がすごく頼りなく見えたのだろう、「あなたのRの発音には問題があるわ」と指摘してくれたり、モールに連れて行って服を買ってくれたり、ご飯をご馳走してくれたり、本当の家族みたいにかわいがってくれた。

ふたりは、私の理想の夫婦像でもあった。「カールはサラダを食べないのよ」と半分本気でぷりぷりするヘルガと、「彼女はいっつも僕のことを叱るんだよ」と、満面の笑みで愛おしそうに彼女の白髪頭をなでるカールを見ながら、いつかこんな風にいられる相手と結婚できたらいいなあと思った。

その土地での留学が終わり、住むところが変わってからも、私は何度かふたりに会いに行った。

ふたりはやっぱり本当の家族みたいに、美味しいものを食べさせてくれて、話を聞いてくれて、私の将来を実の親以上に本気で心配してくれた。

一度会いに行った時は、ふたりとも風邪の病み上がりでちょっとげっそりした顔をしていて、「ひとりが風邪をひくと、もうひとりもひくのよ。それが結婚するってことよ」と、ヘルガが言い、結局はふたりとも笑っていた。いつ会っても、本当に幸せそうだった。

アメリカに来た時に若かったヘルガの方が、英語が流暢だったこともあると思う。たいてい、食卓で話をするのはヘルガで、カールは隣でにこにこしていて、彼女が何かしにキッチンに引っ込むとおもむろにゆっくり話し出すのが常だった。

そして、カールはあまりからだが強くなかった。初めて会った時にも、前に軽い心臓発作を起こしたことがあると話していて、だからヘルガはいつも彼の食生活を心配していた。

会うたびに、カールの動きやしゃべり方が前回よりゆっくりになっていて、年をとっていっているのを感じた。別れ際にはいつも、「そう思いたくはないけど、これが最後になるかもしれない」という考えがちらりと頭をよぎった。

カールも同じことを、私よりもずっと強くまざまざと感じていたのだと思う。

彼のさよならのハグはいつも、「これが最後になっても後悔はない」という気持ちがいっぱいにこもっていた。こちらが戸惑うくらい、力強くて長くて、でも変な感じはまったくないハグだった。サンタさんみたいなおなかがふかふか柔らかくて、とてつもない安心感があって、ばりばり日本人の自分の父親とは一度もハグをしたことのない私は、お父さんに抱きしめられるってこんな感じなんだろうか…と思った。

最後に会った時、その前の年にまた心臓発作を起こしたというカールは、前回よりもだいぶ弱っているように見えた。ヘルガも疲れているようだったから長居はせず、短い時間おしゃべりだけして家を去る帰り際、カールはやっぱりぎゅっと力強く私を抱きしめてくれた。今まで以上に気迫がこもったそのハグは、ただただまっすぐな愛情と、今この瞬間に一緒にいられることへの感謝に満ちていた。

どこかで、これが最後だとお互いわかっていた気がする。

私は急に泣きそうになって、それをおさえるのに気をとられてしまって、同じくらいの気持ちを込めて抱きしめ返すことができなかった。でも、マリリンが言っていたみたいに、「からだ全部で」カールの気持ちを感じることはできた。その感覚は、すごく大切で嬉しい思い出として、今でもずっと残っている。

私はそれから何年かアメリカで暮らし、その後も海外に行くことも多かったので、いろんな人とハグをしてきた。無造作なハグもたくさんしたし、「ハグが下手だね」と言われたこともある。どうしても遠慮や照れが出てしまったりもするのは、生まれた時からハグ文化で育ったわけではない者の限界かもしれない。

でも、経験を積み、年齢をかさねて、今その人を抱きしめられることの貴重さをだんだん理解するにつれて、少しずつ、じょうずにハグができるようになってきた気がする。

達人たちにはまだ及ばないけれど、できるかぎり、毎回、毎回、たとえそれが最後になったとしても後悔しないようなハグをしていきたい。

その瞬間には、目の前の人とぎゅっと向き合って、心をいっぱいにひらいて、あたたかい気持ちだけを持って。

※この投稿は、2017年5月3日に別のところに書いたものです。

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