Day.14 『HSP』について思うこと
世の中で「HSP」という言葉を耳にするようになってから数年経つ。最初にHSPの概念を知ったときに、自分にぴったり当てはまると思い、すぐにチェックシートを検索して試してみたのを覚えている。
わたしは特に病院で診断を受けたりはしていないが、自己チェックシートの結果で判断する限りでは、ほとんど該当している。わたしは夕日が美しくてよく涙することがあった。それは当たり前だと思っていたが、HSPならではのことだったのだと深く納得した。
それから、結果を見たときに心底ホッとしたのを覚えている。子どものころから、クラスの人たちとは、自分がどこか違うなと感じていた。どうも、なじめないとも思っていた。学校では「みんな仲良く」が推奨されていたので、それができない自分がおかしいと思って、自分をかなり責めていた。大人になってからも、他の人には些細なことでも重篤なことにように感じていたし、自分が気にし過ぎてこだわり過ぎているだけなのかなと思っていた。
しかし、診断の結果から、それらのことがHSPの特性だとわかってホッとしたのだった。自分だけがおかしいのではなく、この世の中にわたしと同じような感覚の人がいるのだと知って嬉しくなった。
そして、HSPの集まりというものが開催されることを知って、早速参加してみた。顔を合わせて何をする訳ではないが、他の人の話を聞いていると自分と同じようなことを体験して、感じていることがわかり、なるほどなと思った。参加者の方たちからも、「HSPの人に会えてうれしい」という話が多かった。
それから、HSPに関する本もたくさん出版され、いくつか読んでみた。その中で、わたしには当たり前でもHSPではない人にとっては感じないことが多々あると知って驚いた。わたしは敏感過ぎて困っていたが、非HSPの人にとっては鈍感でいることが当たり前なのだと。
いまの世の中は敏感な人にとっては、なかなか息苦しい。まず朝起きると必ずリビングのテレビがついていて、部屋の電気が点いている。テレビや電球の明るさはわたしの目にはきつすぎる。それから、朝から聞きたくないようなニュースが次々に流れてくるとともに、その情報量に圧倒されて朝からものすごく疲れる。朝はやわらかな朝日とさわやかな風でも感じながら静かに過ごしたいものだ。
仕事に出かけると、いろいろな人からいろいろな感情が発せられている。自分に向けられているものもあるが、他人に向けられているものも自分のもののように感じてしまい疲れる。
昼になると、いろいろなネットニュースが飛び込んでくる。虐待、殺人、戦争、コロナなど、毎日同じような殺伐としたニュースに触れることで、余計に疲れがたまっていく。なるべく携帯電話を見ないようにしている。
夕方、家に帰ってくると、子どもたちが見ているテレビのなんときらびやかなことか。アニメの配色の多さだけでなく、その色鮮やかさ。そして立体感のあるCGの映像に、ついついいっしょになって見入ってしまい、さらに疲れがのしかかる。バラエティ番組で、話しているセリフがいちいち字幕ででてくるのも、わたしには情報過多だ。
最近では、自分の感覚を家族や、職場の人にわかってもらうことをあきらめた。それまでは、自分がどのように感じているのかを周囲の人に理解して欲しくて、ときどき説明してみたけれど、全く伝わらなくてがっかりしたのを覚えている。
ここまで感じ方が違うのだから、説明してもそれを感じてもらうことは不可能だと思った。それよりも、いままではこの敏感さ故にできないことがある自分を責めていたが、逆に敏感さがあるからこそ感じられることを大切にしていこうと思った。せっかく自分が授かったのだから。
それから、ある本の中にこんな一節があった。「HSPは地球に何者かが攻めてきたときにいち早く察知できる能力」なのだそうだ。これを読んだときに、地球防衛軍のようでうれしくなった。
自分の特性を理解し、それを認めて受け入れる。自分のままでよいのだと、自分の感覚を大切にする。そして自分の中にある軸を感じながら、左右に揺れることを許し、また自分の軸に戻りながら毎日を過ごす。そうやっていけば、HSPだったとして息苦しくなくこの世の中を楽しんでいけると思う。
今日も読んでいただきありがとうございました。明日も書きます。
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