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二人旅の断片

このエッセイは、過去に投稿した内容に加筆・修正を加え、再構成したものです。

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2024年5月5日 日曜日。

僕は、今年70歳を迎える祖母と二人きりで旅行に出かけた。

その旅の断片的な記憶を、ここに記録しておくことにする。


around 6:00 p.m.

今、とある駅の待合室にいる。

市のメインステーションとはいえ、「田舎の駅」には相違ないらしく、自分と祖母を除いてはもう一人しかいない。ゴールデンウィークの盛りだというのに、とてつもなく閑散としている。ここだけ、世間の喧騒から切り離されてしまったのかもしれないと、思わずにいられなかった。

駅構内で等間隔に鳴り続ける「ピーーン ポーーン」という電子音。待合室の壁を隔てた外側に複数設置された自動販売機の稼働音。正面の、すでに閉まった観光案内所の窓口の奥から聞こえる、足音と硬貨の音。

その一つ一つの音が粒立って聞こえるほどに静かなこの場所で、寂しそうにしていた6人掛けのテーブルに腰掛けた僕は、高校の時に使っていた安いB5のノートを開き、知り合いにもらった僕の名前入りのお高いボールペンで、まさに今、この文章を書き付けているのだ。

普段、noteに投稿する文章はパソコンかスマホでまとめているが、今は旅の途中。

パソコンは持ち歩いていないし、デジタルデトックスの意味も込めて、スマホの電源は切っている。そこで、持ち歩いていたノートに書いた文章を、後でnoteに転記することにしたのである。

このノートの表紙には「国語」という文字と、高校1年と2年の時のクラス、それに自分の名前が書かれている。1ページ目からパラパラとめくっていくと、およそ10ページほど、国語の問題を解いた形跡が残っている。ただ、それ以上先に進むと、英文が書かれていたり、簿記の問題が出てきたりして、「国語」のノートの体をなしていない。

この無造作な使い方が我ながら気に入らなくて、わざわざノートを上下逆さまに置いて、裏表紙を表紙に見立てて後ろ側から書くことにしたのだった。

一度手を止めて、壁にかかった時計を目をやる。ざっと計算すると、家に向かう列車が来るまでにはまだ小一時間はあることが分かった。

特段やることのない僕は、「新品」に擬態した国語のノートに向き合い、さっきの続きを書き始めた。


around 10:00 a.m.

「喫茶店、行かない?」

トイレ休憩に立ち寄ったイオンを出る直前に、祖母は言った。

電車を降りてから、しきりに「甘いものが食べたい」と話していた彼女は、買い物でお菓子をねだる少女の目でこちらを見ている。

「いいね。行こっか」と返しながら、二人で自動ドアをくぐる。

店の真ん前の歩行者用信号機が青に変わるのを待ちながら、祖母のケータイを借りて「近くの喫茶店」と検索すると、瞬く間にGoogleマップにピンが立った。思ったよりも、たくさんあるらしい。

現在地に近いところをいくつかタップすると、オープンしている店舗は限られることが判明した。まあ、今日がは祝日だから無理はない。そのうちの一軒がちょうど向かいの通りにあることを伝えると、祖母は「まずは、行ってみよう」と快活に答えた。

ものの数分歩いたところに、その喫茶店はあった。ホテルのような外観をした大きな建物の中に入っている、小さな喫茶店である。

「開いてるの?」

不安症の気のある祖母は、訝しげに尋ねた。

ガラス越しに中を覗くと、年配の男性客が新聞を片手にコーヒーを飲んでいるのがみえたので、「開いてるっぽい」と返した。

そのついでに「せっかくだから、もう少し歩かない?」と提案してみた。もしかしたら、他にもっとよさげなお店があるかもしれないと思ったからだ。現に、この街にはたくさんの喫茶店がある。

祖母は特に反対しなかった。きっと、見つからなかった場合の保険ができたからだろう。

僕はスマホを持つ手を変え、通りの奥へと足を踏み出した。


3:30 p.m.

ペダルからそっと足を離す。

静寂。

しーんとした空気を打ち破るかのように、音を鳴らしながら椅子から立ち上がると、背中越しにパチパチペチペチと拍手の音を浴びた。

振り返ると、拍手の主は、数メートル離れたちょうど真後ろの方向にある席に座る男性だと分かった。おそらくこの場所の支配人であろう彼は、「それ、何の曲?」と柔和な表情で尋ねてきた。

「チェスボードです」

「え?」

「Chessboardという曲です。あのー、ヒゲダンの」

「へー、ヒゲダンのねー」

知らないものを言われた時のリアクションという感じがあって、相手の聞いたことのない曲だと察した。「初めて知った」と言われなくても、反応をみれば何となく分かる。

譜面台に置いたスマホに手を伸ばし、ポケットにしまいこもうとする。その動きを制するように、彼は言った。

「他にさ、ヒゲダンの曲、弾けないの?」

「え、そうですねー」

「なんかないの?」

しまいかけたスマホを、もう一度譜面台に置き直す。

「弾いてほしい」とか、「聴きたい」という好意を含んだフレーズを聞くと、「弾いてあげよう」というサービス精神が湧いてくるのが、僕の性だ。僕のというより、音楽を奏でる人の性というべきだろうか。

椅子にもう一度深く腰掛け、目の前のアップライトピアノの軽く触る。心の準備ができたところで、後ろを振り返る。

「じゃあ、ヒゲダンの『パラボラ』という曲を弾きますね!」


11:20-11:30 a.m.

街の一大観光スポットである科学館を出た僕らは、市街地に向かうことにした。

今歩いている歩道には、たいして通行人の姿はない。その上、道幅が広いとあって、二人横に並んで闊歩することなど容易い。

一歩、二歩と進むごとに、目印にしたイオンのあのピンクの看板が、徐々に近づく。

この道の右側に並行する車道は、長く、遠く、一直線に伸びている。車線と車の多さをみるに、国道に違いない。車道の反対側、進行方向の左手には木々の茂った公園が点在しており、落ち着いた雰囲気の街並みを演出している。その1つに、僕らは試しに入ってみることにした。

青々と茂る植物たち。見渡す限りの緑の中に身を置くと、不思議と別の世界に飛ばされた気分になる。

公園を突っ切るようにして進んでいくと、道路を挟んで向かい側に大きな建造物が現れた。

まるで、ジャングルを抜けた先にある巨大遺跡のようにどっしりとした佇まいのそれは、祖母のスマホで調べてみると市役所だと分かった。

「うちの市の役所より立派なんじゃない」という祖母に、「いや、県庁よりも立派かもね」なんて返しつつ、小休憩も兼ねて、僕らは立派な建物に入館してみることに決めた。


16:10-16:20 p.m.

街を一通り散策した僕らが、最初に降り立った駅に戻って来たのは16時を少し回った頃だった。

「この後どうする?」

駅に入ってすぐの正面にある白い時計をみながら、隣に立つ祖母にお伺いを立てる。

帰りの列車が来るのは19時30分。それまでたっぷり3時間はあるが、指定席券をすでに買っている手前、一本早い電車にするなんてことは考えられない。

祖母は、僕に列車の時間を確認した上で、「どうしたらいいかな?」と、聞き返してきた。

彼女の言葉は「好きに時間の使い方を考えていいよ」という僕への優しさというより、むしろ「特に行きたい場所もやりたいこともなくて、どう時間を潰してよいか分からない」という不安から出たものに聞こえた。

この街の観光スポットらしい観光スポットを巡り終えてここに辿り着いたのだから、明確な返事ができないのも無理はない。

「どうしようかな」と呟いて、再び白い大きな時計をみる。

列車が来るまでには、やはり長編の映画が一本観れるくらいの時間があるとはいえ、朝9時半から歩き続けて疲労が溜まったこの身体でまた街に繰り出すのは、そんなに気が乗らない。

でも、折角の旅行先で長時間を駅で過ごすことには、映画館で映画を観るのにポップコーンを注文しないような、もったいないなさも同時に覚えた。

そんな葛藤を抱えながら、結局駅を出た。

祖母の提案で、駅に一番近い三叉路を、朝とは違って左に進んでみる。

この先には、どんな景色が広がっているのだろうか。

春の柔らかな空の水色に、ほんのりと橙色が差し始めている。


around 8:30 a.m.

プラットフォームに繋がる短い階段を下りきるのとほぼ同時に、列車が到着した。

電子音がしてドアが開く。ぞろぞろと降りる乗客の面々をみると、近くの高校の生徒と思しき子達が大半を占めていた。

僕らの乗る列車は、これではない。

しばらくしてドアは閉まり、僕らの行き先の反対方面へとスピードを上げた。

その数分後、先ほどの電車が消えていった方角に、こちらに近づいてくる影が見えた。

間違いない。あれだ。

あわててポケットからスマホを取り出して、カメラを起動する。動画撮影モードにして、スマホを向けた。

少しずつ大きくなっていく被写体は、今日僕らが乗る列車だ。初めてかもしれない。電車をみて興奮したの。

プラットフォームに入ってくるかこないかのタイミングで、動画を止める。スマホをしまう代わりに財布を引っ張り出してきて、大切に保管していた指定席券を取り出した。

4両編成の3両目。3列目のCとD。

手元の切符と列車のボディに書かれた車両番号とを慎重に照らし合わせながら、二人で列車に乗り込んだ。

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かなりあ
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