東京の音
コインロッカーの電子パネルにQRコードをかざすと、ガチャリと音が鳴った。
ここは、東京・武蔵小金井駅の北口。
行き交う人々を背に僕は、先ほど開錠した9番ロッカーの扉を開け、左手でしっかり押さえながら、反対の手で丁寧にキャリーケースを取り出した。
今朝預けた「旅の相棒」は、心なしかくたびれた色に見える。
僕はちょっと気弱な様子の相棒を引きずりながら、駅の南口を目指す。
駅の構造上、南口はここからわずか数十メートルしか離れていない。ところが、ごった返す人の波が、その距離を2倍にも3倍にも増幅させた。
東京在住者にとっては(きっと)当たり前の光景は、地方に住む僕にとっては非日常で。その上、人混みや騒々しさはあまり得意じゃなくて。
やっとの思いで南口を抜けると、目の前に広い通りが現れた。
一度スマホを取り出して、予約したホテルの方向を確認する。
なるほど、どうやらここで横断歩道を渡った方がいいらしい。
信号が変わるのを待って、向こう側に渡った。
数分歩くと、徐々に人通りはまばらになっていった。さっきまでの喧騒が嘘のように、道を闊歩することができる。本当に、ここは「東京」なのだろうか?
そういえば、日中に歩いた北口方面も、僕の頭の中の「東京」とはかけ離れていた。緑が豊かで、住宅街が広がる街並みは、まるで地元のようだ。普段お目にかかれないような超高層のビルや、洒落た名前のタワーの類は無かったけれど、有象無象がひしめき合う都市空間がどうも苦手な僕にとっては、たいそう心地が良かった。
ガラガラガラガラ……。
物思いにふけっていると突然、音が鳴り始めた。
音の主は、僕の「相棒」だ。その音は、どうやらタイル調の歩道の、タイルとタイルの間の溝に足が引っかかるせいで発せられるようである。
ガラガラガラガラ……。
等間隔のリズムが、静かな街に響く。やけに大きな音で響く。
ガラガラガラガラ……。
横の車道は、ほとんど車が走っていない。駅の方を振り返ってみても、ヘッドライトの閃光は見えない。もし車が走っていたら、この音は完全にかき消されるはずなのに。
ガラガラガラガラ……。
試しにケースの向きを変えてみる。しかし、一向に音が収まる気配はしない。
ガラガラガラガラ……。
薄闇に包まれた街の中で、唯一これだけが音源として機能しているかのようだ。
ガラガラガラガラ……。
こちらに向かって歩いてくる人も、車道を挟んで反対の歩道を歩く人も、みんな僕の「相棒」に視線を向けているような気がして、気恥ずかしさと居心地の悪さが募っていく。
ガラガラガラガラ……。
耐えかねた僕は、取っ手をつかんで、ケースを地面から浮かせることにした。入っているのは着替えとパソコンくらいだから、そこまで重くない。ホテルまでの距離も近いことだし、体力的にも余裕だろう。
持ちあげると、ピタリと音が止んだ。その代わりに、別の「音」が聞こえてきた。
僕の足音。通行人の話し声。電車の走る音。僕の息。車のエンジン音。青信号を知らせる電子音。服が擦れる音。「相棒」の中で何かが動く音。
音を殺したことで、生きてくる音。音。音。
音に溢れた賑やかな街並みを慈しむように、僕はゆっくりとホテルに向かった。
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