日本を旅立った君へ
海外の大学を受験しようと思っている―。
そう君が言った時のことを、今でもはっきりと覚えている。
って、言いたいところだけど、ごめん。
正直、君がどんな風にそのことを僕に伝えてくれたのか、まったく思い出せない。
国内の大学から海外大学に切り替えて、受験勉強に勤しんで、結果無事に合格して、奨学金を得るために悪戦苦闘していた「半年間の君」の姿は優に思い浮かぶのに。陸上のトラック競技を観戦していて、スタートだけを見逃してしまったかのようなもどかしさがある。
記憶力にそこそこ自信のある僕が覚えていないのは、きっと寝耳に水すぎるニュースだったからだ。話のあまりのインパクトに、頭が追いつけなかったんだと思う。
晴れて海外大学に進学した君の、有言実行を遂げた君の最初の宣言を記憶に留めておきたかったけれど、忘れてしまったものはしょうがない。
そういえば、受験をすること自体、君にとっては大きな挑戦だったよね?
忘れもしない2023年の元旦。
ベッドでくつろいでいると、君から電話がかかってきた。
そう思って恐る恐るスマホを耳に当てると、「明けましておめでとう」と新年の挨拶が聞こえた。
いつもと何も変わらない声にホッと胸を撫でおろし、こちらも「明けましておめでとう」と返す。
ところが直後、君はさっきより低い声でこう言ったんだ。
「ちょっと話たいことあるんだけど、今時間ある?」
「あるよ、時間」
「ありがとう。ならよかった」
声のトーンと話の流れから、明るい話題ではないと直感した。
重苦しい空気を感じていると、君はゆっくりと話し始めた。
「進路のことなんだけどさ、今日いろいろ家族と話したんだよね」
「うん」
「で、いろいろ相談したり、アドバイスもらったりもしてさ」
「うん」
「それで、あのー大学受験、挑戦してみることにした」
「おー、うん。大学受験ね」
「うんうん」と頷きながら、落ち着いて話を聞いている素振りを見せていたけれど、内心かなり驚いていた。
冷静に考えれば、高校3年に間もなく上がる人にとって「大学受験」という選択は、なんら不自然なものではない。
でも、ついこの間まで「勉強にそんなに自信がない」とか、「起業に興味がある」とか言っていた君からは、受験をする素振りなんか微塵も感じられなかったんだよね。
そりゃ、びっくりするのも無理ないと思わない?
君はそれから日本国内の志望大学の名前をいくつか列挙して、受験勉強を始めることを宣言したのち、電話を切った。
あの電話から1年後の2024年1月。
志望校の受験、受験の不合格通知、国内から海外進学への方針変換と、文字通り紆余曲折を経て君は、海外大学進学への切符をつかみ取った。
zoom越しに「合格した」と聞いた時は、嬉しさと安堵感が全身を駆け巡った。晴れ晴れとした表情を浮かべる君と同じくらい、僕も嬉しかったんだよね。自分の身近な人の幸せ(そうな姿)を見られることが、いかに幸せかを、君は僕に感じさせてくれた。
実は、僕も一時期、海外(北欧)の大学への進学に憧れを抱いていた時期があった。とりあえずTOEFLの分厚い単語帳を買って、電車通学の間に眺めていた頃が懐かしい。
白状すると、自分が一瞬とはいえ描いていた「海外進学」の夢に向かって挑戦する君に、少しばかり嫉妬の気持ちがあった。もちろん、受験に合格してほしいと応援していたことに変わりはない。けれど、今振り返ると、どこか真正面からエールを送れていなかった気がする。
それが、君からの合格発表を聞いた時、本当に嬉しいと思ったんだよね。「良かった」と素直に思った。
あの頃の僕の夢を、間接的に叶えてくれてありがとう。
受験に合格したのは、たゆまぬ努力の成果だ。勉強をしている姿を(ほとんど)直接は見ていないけれど、見えないところできっとものすごい努力をしていたんだよね?
頑張っている姿を他の人にあまり見せないタイプの君は、誰かに「努力」を褒められることは少ないかもしれない。だから、他の人が伝えられない分の賞賛も、僕が代わりに伝えることにしよう。
本当によく頑張った。改めて合格おめでとう。
ここに書いたようなこと、本当は直接君に伝えたいんだけど、それはあとの機会にとっておくことにする。
日本を離れるタイミングでいろいろ伝えるのは、なんとなく違う気がするから。
君が無事に大学を卒業した時、ここに書いてあるようなことを僕の言葉で、きちんと君に伝えたいと思う。
その時はzoom越しなんかじゃなく、君と対面で会って話すことにするね。