時間切れ!倫理 109 奈良時代1
(ア) 鎮護国家の仏教
聖徳太子の時代から100年飛んで、奈良時代に入ります。奈良時代の仏教の特徴についてお話しします。
聖徳太子は仏教の中身がしっかりとわかっていたかもしれませんが、奈良時代には仏教は、その教義よりも、鎮護国家の役割を期待され、政府によって保護されていました。国を守ってくれるお守りのようなものです。仏教は本来は個人の救済が目的なのですが、それを離れて独特の受け取られ方をしたわけです。個人の救済より天下の安泰を祈る、現世利益の教えです。
その象徴が聖武天皇による大仏建立です。聖武天皇時代あまり政治がうまくいっていなかったので、ますます仏教に頼るという感じです。莫大な人員と資源を使って東大寺を作り大仏開眼をします。ものすごく華々しく行った。今でいえばオリンピックや万博のようなものです。
大仏殿は何度も戦火で焼けているので、大仏の膝から下だけが当時のものだそうです。雑談になりますが、大仏を作っても最初はただの銅像なので、魂入れの儀式が必要となります。それが大仏開眼です。大仏の目に大きな筆で黒目を入れるのです。この時に黒目を入れたお坊さんがインド人のお坊さんでした。中国まで来ていたインド人のお坊さんを奈良まで呼んできた。このインド人のお坊さんは、ものすごく太い筆を持って大仏に目を入れたのですが、その筆には様々な色をした紐が何本もついていて、その紐の端を聖武天皇をはじめとする偉い人たちが握っていた。ご利益がこちらにも伝わりますようにということでしょうね。昔、奈良の国立博物館の正倉院展に行った時に、この時に使われた筆につながっていた紐が展示されていました。まあ、凄いイベントだったのでしょう。
仏教の学問としては、南都六宗というものが形成されていました。南都とは奈良のことです。六宗というのは宗派というよりはこの時代では学派を意味します。六つの学派があって仏教研究が盛んに行われていました。
奈良時代の仏教は完全に国家管理のもとにあるので、僧侶は政府や有力貴族が管理するお寺の中でしか活動をしません。お寺の中で学問的な研究をするだけで、お寺から出て一般人と接して、彼らに仏の教えを説くことは禁止されていました。民衆の、個々人のための仏教ではない。あくまでも政府のための仏教です。