時間切れ!倫理 173 スピノザ
デカルトはコギトに基づいて演繹法を唱えたわけですが、精神と外部世界を完全に分けてしまうという問題点が残った。これをひとつに統一できないかと考えたのが、スピノザとライプニッツです。
まずはスピノザから。
スピノザ(1632生)は、現在のオランダ出身です。著作は『エチカ』。元々はユダヤ教を信じるユダヤ人だったのですが、キリスト教に改宗し、ユダヤ人のコミュニティから追放される。哲学を研究したわけですが、生活的には貧しく、顕微鏡や望遠鏡のレンズを磨いて生活をしていました。『エチカ』は死後発表された本です。
スピノザは汎神論を唱えました。デカルトは、神は無限だと考えていましたが、スピノザも、そこから出発します。神が無限だということは、全世界を神が包み込んでいるはずなので、肉体などの物質も精神も、すべて神の中に存在している、と考えた。
つまり、「実体として存在しているのは神だけである。」
デカルトは、神も物体も精神も全て実体と考えたわけですが、スピノザは精神も物体も、実体として存在するのではなく、神のみが実体として存在していると考える。こうして二元論を克服して神一元論を説きました。世界はすべて神なので、言い方を変えれば、この世に存在するものはすべて神なのである。私の中にもあなたの中にも神がある。私もあなたも神の部分である。
スピノザの言葉で言えば「神即自然」となる。こういう考え方を、汎神論といいます。宇宙全体が神だという発想です。
すべてが神ということは、見方を変えると、神はいてもいなくても関係ないことになる。すべて神であれば、神がないのと何も変わらない。
なのでスピノザの考えは、当時の人々から非難されました。「彼は汎神論といっているけれども、本当は無神論なのだ」という非難です。スピノザが神を信じていなかったわけではないと思いますが 。
また、スピノザは、すべての事物を、神を表現するものとして「永遠の相」のもとに見ることが重要とも言っています。
自由意志の否定も、スピノザの主張です。それはそうですね。全て神の内部にあるのだから、自由だと思っていても、全ては神の手の内にある。神の存在の中で自由だと思っているだけで、実際にはすべては神の意志の中で動いていることになる。
意志は何らかの原因に影響されている、と書いてありますが要するに全ては神の意志のもとにあると考えて良いでしょう。