時間切れ!倫理 91 ウパニシャッド哲学
(エ) ウパニシャッド哲学
バラモン教は儀式中心でしたが、やがて儀式だけでは飽き足らず、世界の奥深い真理についても考察するようになります。この思想・哲学をウパニシャッド哲学といいます。奥義書(おうぎしょ)と訳されます。
このウパニシャッド哲学がインドの様々な思想のもととなりました。これから学ぶ仏教もこのウパニシャッド哲学が基本となります。では、その中身を見ていきます。
まずは輪廻です。仏教を通じて日本にも伝わってきているので、信じるかどうかは別にして馴染み深い考え方ですね。全ての生き物は生まれてきて、生きて、やがて必ず死ぬ。死んだ後また何かに生まれ変わって、また生きる。生と死を永遠に繰り返す。これが輪廻です。
どうして輪廻という考えが生まれたのかはわかりませんが、私が想像するに、一回だけの人生では帳尻が合わないとき、人生を今の人生の前後にもたくさん想定することによって、帳尻を合わせようとしたのではないか。自分が、どうしようもなく不幸な境遇に生まれついたと考えてください。いくら努力しても何一つ報われない。幸せなことが一つもない人生。かたや、すごく恵まれている人がいる。何もかもうまくいく人がいる。なぜ自分はこんなに不幸なのかと考えたときに、次の人生で今の努力が報われるのだとかんがえると、ちょっと楽になる。自分が恵まれていることに自覚もなく、ワガママ気ままに生きている人間には、次の生で報いを受けるに違いない、と想像して自分を納得させる。そんな風に、生を無限回まで拡大すれば、すべての命は似たりよったりなものに思えるじゃないですか。そんな発想から輪廻という考えが生まれたような気がします。正しいかどうかは保証しませんよ。
さて、死んだあと、輪廻によって何かに生まれ変わるのだけれども、問題は何に生まれ変わるかです。それはどうやって決まるのか。それは生きている間に行った行為によって決まります。生きている間の行為のことを業(ごう)・カルマといいます。「業が深いな」という時の業ですね。
ちょっと考えてみてほしいのですが、輪廻が本当に存在するとします。今、私たちは人間でいるわけですが、記憶をたどってみて前世の記憶はあるか。ありませんね。その前の前前世、前前前世の記憶はあるか。ないですね。今の記憶しかありませんね。遡ってもせいぜい3歳位までの記憶しかないのではないか。だったら生まれ変わったといったって意味がないじゃないか、ということになります。
しかし、ウパニシャッド哲学は、記憶はないけれども、自分の命の本質は変わらない。それが死と生を繰り返すと考えます。この命の本質、魂の本質、これをアートマンといいます。仏教用語では「我(が)」と訳します。アートマンが生まれ変わっている。記憶にはないけれども現世も前世も前前前世も来世も、同じアートマンが生まれ変わっているのだと考えます。次にゴキブリに生まれ変わっても、現在人間である私のアートマンが来世のゴキブリの中に存在するのです。