時間切れ!倫理 157 柳宗悦 南方熊楠
柳宗悦
柳宗悦(やなぎむねよし)は美術評論家。ただし、彼が評価したのは著名な芸術家の作品ではない。江戸時代以降だけでも、尾形光琳、狩野永徳、葛飾北斎、いくらでも芸術家がいます。しかし、柳宗悦はそういう名の知れた芸術家の作品ではなく、名もない職人さん達が作るお茶碗など、日常生活で使う様々な道具に美を見出しました。これを民芸運動と言います。一般民衆の暮らし、伝統文化に目を向けたのは、柳田国男と相通じるものがあります。
私は、今朝もご飯を食べてきました。ご飯のお茶碗には、模様が描いてありますよね。しかし、それをじっと見たことはない。どんな模様が書いてあったか、今も思い出せませんが、毎日使っています。
柳宗悦は、このようなお茶碗に書いてある模様、造形に美を見出したわけです。名のある芸術家だけが芸術作品を作っているわけではない。名もなき職人が作るものにも美はあるのだと、彼によって皆が気づかされました。日用品に美を見出そうというのが、民芸運動です。
また、朝鮮半島の様々な文物、民芸品にも同様に美を見出したことでも有名です。日本の植民地として、日本より一段低くみられていた朝鮮の文化に、日本の民芸品と同様の美を見出したことは、彼の眼が世俗的な価値観によって曇らされていないことを示していると思います。
また、浄土宗系の信仰を描いた『南無阿弥陀仏』という本を書いていて、特にそこに描かれた妙好人(ひたすら念仏を唱え続けた在家信者たち)の話は、非常に面白かった。念仏の話が、彼の民芸に対する考えと通じていて、彼の考え方の根っこがよくわかった。私にとって、忘れられない本です。
南方熊楠
南方熊楠は、博物学、粘菌研究で有名です。博学の人でどんな分野でも業績の残しているイメージですが、その中でも粘菌研究が一番有名。東大で勉強した後イギリスに渡って、大英博物館の図書館で働いていた経験もあります。いろいろな本も著し、研究もしていますが、大学の先生などにはなったことはなく、一貫して民間の研究者として活動をしました。
和歌山出身で、外国から帰った後は、和歌山の森で植物採取などして、研究を続けていました。昭和天皇が、和歌山に来た折には、天皇に粘菌の講義をしています。
明治40年に、神社の統廃合の政策が発表されました(神社合祀政策)。小さい神社を潰して大きな神社に統合する政策です。南方熊楠は、この政策に猛反対します。小さい神社にも、必ず鎮守の森がある。神社を潰すと、鎮守の森もなくなり、そこにある貴重な生態系が失われるというのが反対の理由です。今で言えば自然保護、環境保護運動の先駆者的な運動ですね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?