時間切れ!倫理 28 知徳合一・知行合一
ソクラテスが探求し、自らも身につけたいと考えている勇気や正直、節制、善、こういうものを徳といいます。
アレテー(徳)とはもともと<有能さ・卓越性>の意味。人間の、なにか理想的なあり方や能力を示すインデックス。たとえば古くは、戦士としての勇敢さや、立派な家柄などが、アレテーと呼ばれた。(古東『現代思想としてのギリシア哲学』)
ソクラテスが議論ばかりしていることからもわかるように、ソクラテスは徳を知識として探求し、身につけることができると考えていた。知識として身につけることができるから、教えることもできる。徳は知です。これを「知徳合一」という。徳は生まれつき身についているとか、難行苦行で手に入るとか、ある日突然啓示が降ってくるようにやってくるものではない。万人に開かれているものです。
「これが徳だ」ということがわかったとして、それを単なる知識として頭の中に入れておくか、実践するか、どちらか。ソクラテスは「知行合一」という。「徳を知ったら、実行しなさい」という意味だと思っている人が多いけれど、それは違う。知ったら、実行せずにはおれないという意味です。あなたに好きな人がいて、こうすれば絶対に相手も自分を好きになってくれるという方法がわかったら、どうします。絶対に実行する。徳とはそういうもので、「身につけることができるとわかっているのに、何もしないことはありえないよ」ということです。「遅刻するな」「わかったよ」といって、また遅刻したら、それはわかっていないことですよね。「知」となっていない。ほんとうにわかったら、もう遅刻しないのです。「知」というのは、ことばを知ることではない。わかることです。わかるとは、自分が変わることです。知行合一は、そういう意味だと思います。
ソクラテスが徳を探求したのは、普遍的な、人間としての善い生き方を求めたからです。現代風の言い方をすれば、自分を大事にするということだ。これを、ソクラテスは「魂への配慮」といった。「普遍的な善」というソクラテスの立てた問題は、現在も問われ続けている倫理学の根本問題です。このあと、様々な答えが出され続けました。
(補足)ソクラテスははじめてモラルを原理的に思考した。倫理学の始まりともいえる。何が善か、については、約2000年後にベンサム、ミルの功利主義と、カントの定言命法が回答を与えることになる。