
店員の本音「痴呆になるんじゃないかと心配になる時」
人間の店員の思い
ここ数年の間にセルフレジだとかファミレスで食べ物を運ぶロボットだとか便利な機械が増えました。
私は日用品等を取り扱う某店で販売の仕事をしています。人間の店員としていろいろ思います。
レジ打ちをしていて去り際に「どうも~」みたいに一声かけてくださる方は多く、そういう時はうれしく思います。(※言わないと感じ悪いということは全くありません。本来無言でよいシーンです。)
「この商品を買えてよかった!」と感動を伝えてくださる方もいます。 他様々半分以上はこの仕事をやっていてよかったと思う「思う」です。
一方別の「思う」もあります。
レジ業務をしていて、お年を召した方が会計後、お釣りを財布に入れバッグや鞄にしまう動作に時間がかかる事があります。順番待ちしている大半の方には察してもらえます。
ごく時々ではありますが、待っていてイラっとした感じになるお客様がいます。
店員が空いている会計機にご案内するセルフレジでは起きない事ですが、ここでは昔ながらの有人レジでの話を書きます。
急ぐ事情があるかもしれず気持ちはわかります。このような時、待っているイライラしてる方に「お待ちいただけますか?」などと言うと、小銭を頑張って財布にいれている方が焦って横に動いて転倒に繋がりかねません。
80歳90歳を越え、杖をつき歩くのがやっとで買い物をされている方は本当に多いです。
相当時間がかかりそうなら少し横にお願いしますなどの声かけが必要です。でも基本的にはお釣を財布にしまう行為を急かされるのは悲しすぎる気がします。 。
次のお客様の順番が来たら勿論「お待たせ致しました」(必要ならお礼も添え)と言います。それでも、ごく一部八つ当たりのように品物を渡すとかカゴを乱暴に置く方がいます。
他めったにないけれど、度を超えて感じ悪い方には仕事上丁寧に接しても、本音では感じ悪いなーとは思います。。
それとは少し違いますが、接していて痴呆にならないか心配になってしまうことが時々あります。まだ高齢とは言えない中高年の方たちと接している時にです。
以下詳しく書きます。
※お年を召した方で、何度も同じ事を尋ねる、会計時に計算できず財布が小銭でいっぱい、など既に痴呆症状が出ている雰囲気の方と接する事があります。お年を召した方が若い頃と同じように行動できなくなるのは自然です。
それを否定するような事を書くのはここでは慎みます。
①他人に気を使えない人
店員が陳列作業の途中で重いものを持っていたりレジ打ちの真っ最中なのに、すみませんの一言もなく〇〇どこですか?と話し始める
お客様から何か用事があって話しかけられる時、まず「すみません」と声をかけていただける場合が大半です。
一方で重いものや割れ物を持ち陳列作業などをしている真っ最中に、安全確保する隙も与えてくれず前置きなしで話し始める方が時々います。
よそ見をして落とすと周囲の方含め危ないです。
レジ打ちの真っ最中に割り込みに近い形で近づいてきて〇〇どこにあるの?などと話しかけられるのも結構困ります。(防犯防災や急病の方がいるなど緊急の用事は除きます。)
対応すると金銭から目を離す事になり防犯上よくないですし、目の前のお客様を無視する事になってしまいます。
②好奇心が乏しそうな依存的な人
商品を自分で探す気力はなく店員に全部探してもらうのが当たり前
急いでいるお客様から、〇〇どこにありますか?と聞かれるのはごく普通の事です。
私もお客の立場で聞くことがあります。
そうではなく、5点欲しい商品があったら5点全部店員に付き添ってもらい、探してもらうのが当たり前だと思ってる方が時々います。
(アパレル店など個人接客をするお店ではない、量販店的なお店でのことを書いています。)
急いでいたら理解できますが、急いでいる方から場所を聞かれる場合大半は商品1~2点です。
急ぎで5点買い物する方もいるかもしれず断言はできませんが、接していて急いでるというのは口調や雰囲気でなんとなく伝わります。
お年を召していて歩行が難しい、若い方でも杖をつかれているなどの理由で歩く距離を最小限にするためであれば、数点の買い物であれば気にする必要はないし、そこで断られるならお店の企業体質に疑問がわきます。
ここで書くのは、急いでいる様子はなく、特別な身体的事情がある様子がない中高年の方のことです。
商品の場所を質問され、ご案内をして私が本来の業務に戻ります。
少しするとまた〇〇どこにありますか?と聞きにいらっしゃいます。
それがその方の買い物が終わるまで続きます。
メモに買いたいものが書いてあって、一気に全部案内して下さいという方もいます。
商品全部を店員に探してもらうというのは、購入する商品以外に興味がないのだろうと想像します。
余計なものを見るとついで買いに繋がったりしますが、商品を手に取り比較したり質感を感じられるのは通販ではなくお店で買い物する醍醐味な気がします。
商品をお店で探すのはRPGゲームのような楽しさがあるような気もします。
アパレル系や眼鏡店などのマンツーマン接客するお店を除き、特別な事情がないのに5つも6つも商品を案内するのは、店員の負担になるというのが現実です。
その場合①の「他人に気を使えない」も入ってきます。
なぜ痴呆になりそうと感じる?
そういう中高年の方たち(①他人に気を使えない人②好奇心が乏しそうな依存的な人)は会話のレスポンス、やりとりの反応が鈍い事がとても多いです。
店員の都合を考えずに自分勝手に話しかけてくるのですが、急いで聞く体勢になると、…えーと…みたいな要領を得ない事が多々あります。
欲しい商品の商品名がわからずどのようなものなのか説明もできず、会話の内容をヒントに「○○でしょうか…?」などと言うと「そうじゃなくて!」と逆ギレされる方もいます。
メモに書いた複数の商品を全部案内して欲しいという場合も似たような状況です。
高齢とは言えない年齢でこのような様子だと、若い頃より判断力が衰えてくる年齢になって利発に行動できる姿があまり想像できません。。。
やりとりしていて、反応が痴呆症状が出ていると思われる高齢者の方に近いな…と感じることも少なくありません。
こういう人は早く思考力が衰えてしまうのでは…?と思ってしまいます。
若い方たち
これまで中高年の方についての事を書いてきましたが、10代~20代ぐらいのお客様には、上に書いたような自分本位とも言える振る舞いをする人はほとんどいません。
私は脳科学などの専門的な事はわからないのですが、その事から上に書いてきた①②の振る舞いは老化現象と結びついているのだろうか…と考えてしまいます。
推測
買い物する時の行動パターンは生活全般に及んでいて、他人の気持ちを想像しない・受け身の姿勢で何かと他人任せだと、思考を巡らせる機会が少なくなりがちなのではないでしょうか。
その積み重ねが会話する時の反応の遅さに繋がるのかなとも思います。あくまで私の想像です。
お店で垣間見る高齢化社会の現実
お店には既に痴呆症状が出ている感じのお客様も多くいらっしゃいます。計算ができず、どのお札を出してよいかわからないから会計に時間がかかるなど。
店内で完全に迷ってしまい自宅に帰れないような場合は警察の方に来ていただきますが、買い物中に接するだけで完全に痴呆だと店員が判断することは難しく、お声がけすることはまれです。
痴呆であっても、どこからが生活できないレベルなのか、福祉の専門家の方でも判断は難しいと思います。
店員の自己判断で痴呆のように接し、健康な方だったら「失礼な!」と大問題になってしまいます。場合によってはクレームになります。
声をかけないことが正しいのかどうかは置いて、すべての方に対応できないのが現実です。
いきいきと生きる
私は専門的な知識があるわけではなく、エビデンスとかもありません。
その上でですが「なるべく長くいきいきと生きていく為には若い頃からの心がけや行動が大事なのではないか」と感じています。
考え方や行動は急に変わらないと思うからです。
具体的には
●他人の気持ちを想像して行動する
●好奇心を持ち自発的に調べ行動する事を心がける
という事が大事な気がします。
道徳の教科書みたいになってしまいましたが、案外こういう当たり前の事が、思考力を衰えないようにする為に大事なんじゃないかと店員として働く中で感じます。
コミュニケーションをうまく取れない持病をお持ちの場合もあるかもしれないし、お店での振る舞いを一概に痴呆の事と関連付けることはできませんが、販売接客の仕事をしていて率直に感じていることを書きました。(差別的な側面を考慮などすると何も書けなくなるので)
様々書いてきましたが、お店に足を運んでくださるだけでありがたいというのは大前提です。
著者個人の考えとして参考程度に捉えていただければと思います。
最後に
どんなに努力していても老化、予期せぬ病期の後遺症などで痴呆になる事があり、痴呆症状がある方を、努力しなかったから、と非難したり、差別してはいけないですね。
痴呆というのは、痴呆が発症する年齢まで頑張って生き抜いたからこそ発症するとも言えます。
生きていると辛いことが少なくはないです。
それでも頑張って生きてきたからこそ発症するとも言えます。
頑張って生き抜いた方が心地よく生活できるような社会であることを願います。
忙しいと上に書いたように思えなくなる時があるので、自分に言い聞かせたいことです。
記事をお読みいただきありがとうございました。