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「トンと喚けばカラの体がトンと啼く」#04
【前書き】
皆様、お疲れ様です。
カナモノさんです。
ふつふつと書いていた短編小説のお披露目です。
少しの間でも、お楽しみ頂けていることを願います。
【トンと喚けばカラの体がトンと啼く】
作:カナモノユウキ
登場人物紹介
◆ 西林(にしばやし) ― フリーライター、都市伝説「トンカラトン」を追う。
◆ 東和田(とうわだ) ― 怪談専門の記者、西林と共に調査を進める。
◆ 北海(きたうみ) ― 民俗学者、「トンカラトン」の噂を独自に調査していた。
◆ 南森(みなみもり) ― 地元の警官、製薬会社と関わりを持つ。
◆ 秋月製薬(あきづきせいやく) ― 頓殻病を極秘研究している製薬会社。
◆ 榊(さかき) ― 元・秋月製薬の研究員、過去の実験を知る。
◆ 北海の母親 ― 息子を探し続ける。
◆ 篠崎(しのざき) ― 村の住人、「トンカラトン」の噂に詳しい。
◆ 松浦武三郎(まつうらたけさぶろう) ― アイヌの伝承を記録した歴史上の人物。
【第三部:囀る影、砕ける骨】
"それ"は、ゆっくりと、ぎこちない動きでこちらへ歩み寄ってきた。
闇の中にぼんやりと浮かぶシルエット。
だが、その動きは異様だった。
カク、カク、とまるで関節が壊れた人形のように、ぎこちなく体を揺らしている。
風が止まり、月光が影を鋭く刻む。
俺は震える声で呟いた。
「……北海?」
その名を呼んだ瞬間、"それ"の首がガクンと傾いた。
"それ"が、異常な動きでこちらへ向かってくる。
俺たちは直感的に「これはマズい」と理解した。
「伏せろ。」
東和田が俺の腕を引っ張り、俺たちは近くの木陰に身を潜めた。
息を潜め、様子を伺う。
"それ"の動きはますます奇怪になり、歩くたびにカラカラと音が響く。
その時だった。
――ギィィ……
不気味なタイミングで、道の向こうから車のブレーキ音が響いた。
闇の中に、黒塗りの車が数台停まっている。
ヘッドライトは消され、無言の男たちが降りてくる。
「……誰だよ、あいつら。」
東和田が低く呟いた。
俺も答えられなかった。
男たちは、迷うことなく"それ"の方へ向かっていく。
男たちは無言のまま、"それ"を囲んだ。
慣れた動きで何かの装置を取り出し、"それ"の体に向ける。
"それ"は、カラカラと音を立てながらもがこうとした。
しかし、男の一人が何かを噴射すると――その動きがピタリと止まる。
俺は木陰から目を見開いた。
――まるで"何か"にスイッチを入れるような動きだった。
「……おい、西林、これって……」
東和田が青ざめた顔で俺を見る。
――こいつらは、"何かを知っている"。
これは、偶然じゃない。
噂ではなく、実験として"管理されている怪異"だ。
「お前ら、いつまでそこに隠れてるつもりだ。」
低く、冷ややかな声が背後から響いた。
俺たちは一瞬、心臓が止まったような感覚に陥った。
――バレてる?
ゆっくりと振り向くと、男が一人立っていた。
黒いコートを羽織り、無表情な顔。
初めて見る男だった。
だが、俺は直感的に思った。
こいつは、何かを知っている。
「……誰だ、お前。」
東和田が睨みつけるように言う。
しかし、男――南森は肩をすくめただけだった。
「お前たちがこれ以上深入りする理由はない。」
「理由ならある。北海は……」
「お前たちが助けられる話じゃない。」
南森は冷静に言い放つ。
俺は拳を握り締めた。
「ふざけるな。俺たちは……」
「知らなくていいことだ。」
それだけ言い残し、南森は黒塗りの車へと向かっていった。
車が去った後、俺と東和田は立ち尽くしていた。
「……どうする、西林。」
東和田の声は震えていた。
「決まってるだろ。」
俺は、まだ地面に落ちていた北海の"骨片"を見下ろしながら答えた。
「もっと調べるしかない。」
――これは、伝承の話じゃない。
――誰かが"意図的に"作り上げたものだ。
そして、俺たちはもう引き返せない。
黒塗りの車が去った後、夜の静寂が戻ってきた。
だが、それは安堵をもたらすものではなかった。
"何か"がここに残っている。
西林と東和田は、まだ物陰に身を潜めたままだった。
「……今の男、一体何者だ?」
東和田が、押し殺した声で呟いた。
男――あのコートの男は、名乗りもしなかった。
なのに、言葉の端々には"こちらを知っている"ような雰囲気が滲んでいた。
それだけじゃない。"こっちの動きを最初から把握していた"。
あいつはただの関係者じゃない。
西林は、今まで感じたことのない種類の"違和感"を抱いた
「……なんで、隠れてた俺たちが分かったんだ?」
東和田もそれに気づき、押し黙る。
確かにあの男は最初から、"ここに俺たちがいる"と知っていた。
まるで、この場にいる人間すべての位置が"見えている"ように。
――――翌日、二人は北海の実家へと足を運んだ。
町の外れにある一軒家。周囲には家が少なく、ひっそりとした空気が漂っていた。
門の前には雑草が生い茂り、玄関のポストはチラシや封筒で溢れている。
「……誰も住んでないのか?」
東和田が眉をひそめた。
「家族はまだこの家を持ってるはずだ。ただ……北海が消えてから、親戚の家に身を寄せてるって聞いた。」
西林はポストに突っ込まれた新聞の日付を確認する。数週間前のものだ。
北海の家族は、北海が失踪してからこの家を離れた。だが、処分する気はないらしい。
まるで、"北海が帰ってくることを信じている"かのように。
玄関の鍵は掛かっていなかった。
二人はそっと扉を開け、中へと足を踏み入れる。
途端に、時間が止まったかのような違和感が二人を襲った。
部屋の中は、まるで昨日まで誰かが生活していたかのような状態だった。
ダイニングテーブルには、埃をかぶった食器がそのまま置かれている。
リビングのカレンダーは、北海が消えた日のままで止まっていた。
居間の隅に置かれた写真立て――北海と家族の写真。
だが、それに被せるように、一枚の紙が貼られていた。
「戻ってきたら連絡して。みんな待ってる。」
震えるような文字で、家族が残したメッセージ。
東和田は、それをじっと見つめたまま、無言で紙を握りしめた。
書斎を調べると、埃をかぶった本棚の奥から一冊のノートが出てきた。
ページをめくると、手書きの文字が目に飛び込んできた。
「伝承は、語り継ぐ者を選ぶ。影が囁く時、次の語り手が決まる」
「……語り継ぐ者を選ぶ?」
東和田が、眉をひそめた。
さらにページをめくる。
「頓殻病は、伝承の防壁である。伝承が誤った者に渡る時、それを防ぐための機構が働く」
「……防壁?」
「ちょっと待て、西林。」
東和田は顔を上げた。
「これってつまり、伝承そのものが"感染する"ってことか?」
西林はゴクリと唾を飲んだ。
だが、そこでふと気づいた。
「……そもそも、"頓殻病"ってなんだ?」
東和田もハッとして、ノートを見つめ直す。
「こんな病気、聞いたことあるか?」
「いや……聞いたことない。伝染病なのか、それとも……」
「……これ、もっと調べる必要があるな。」
東和田はノートを閉じ、考え込む。
"頓殻病"という言葉が、異様に気になった。
その時だった。
「カラ……カラ……」
かすかに、奥の部屋から音がした。
冷たい汗が背筋を伝う。
「……風の音じゃないよな?」
東和田が、冗談めかした口調で言ったが、顔は笑っていなかった。
違う。あれは、"誰かが意図的に鳴らした音"だ。
西林は、部屋の奥を睨みつける。
次の瞬間――
ふと、扉の隙間がわずかに揺れた。
「……誰かいるのか?」
西林は、声を絞り出しながら、ゆっくりと扉に手を伸ばした。
静寂の中で、西林の手がゆっくりと扉に触れる。
冷たい金属の感触。喉を鳴らし、慎重に押し開けた。
……何もいない。
だが、"いた痕跡"が残っていた。
カラ……カラ……
その音は、まだ空気の中に微かに残響しているようだった。
「……誰かが、いたな。」
東和田がぼそりと呟く。
床にはうっすらと乾いた足跡が残り、壁には爪で引っ掻いたような傷があった。
西林は壁の傷を指でなぞる。すると、そこに刻まれているのが"文字"であることに気づいた。
「なんだこれ……漢字でもひらがなでもないな。」
東和田がスマホのライトを向ける。
「妙な模様みたいな感じだな。……何かの言語か?」
二人はしばらく見つめていたが、判読できなかった。
「ひとまず、写真を撮っておこう。後で誰かに聞けば分かるかもしれない。」
東和田がスマホで撮影し、二人は壁を離れた。
西林は足元に視線を移す。
そこには、小さな"乾いた骨片"のようなものが落ちていた。
靴の先で軽く弾くと――
カラ……
「!!」
全身の毛が逆立った。
「この音……まさか、『トンカラトン』の音と同じか?」
東和田も無言で頷いた。
つまり、ここにいた"何か"は――
トンカラトンと、何らかの関係がある。
「なあ、西林……。」
東和田の声が低くなる。
「これ以上調べたら、俺たちも"語り部"にされるんじゃないか?」
「……それでもやるしかないだろ。」
西林は壁を見つめたまま呟く。
「ここで引き返したら、何も分からず終わる。……それこそ、"語り部"にされるよりタチが悪い。」
「……確かにな。」
東和田は息を吐き、スマホをポケットにしまった。
「とにかく、一度外に出よう。」
二人は黙って扉を閉め、外へと足を向けた。
「頓殻病って、結局なんなんだ?」
歩きながら、西林が呟く。
「噂が出たのはこの町だけじゃないらしい。もっと広い範囲で似たような話があるみたいだ。」
東和田がスマホを操作しながら言う。
「ただ、どこを調べても"正式な病名"としては存在しない。記録が残ってないんだよ。」
「……隠蔽か?」
「可能性は高いな。」
西林は考え込む。
噂だけが残り、記録はない。
それは、意図的に消されたということだ。
「語り継ぐ者は、決して後戻りできない。」
西林は、ふと先ほどの壁の文字を思い出した。
「なあ東和田……これって、"語り部"のことじゃないか?」
「語り部?」
「いや、ただの思いつきだけど……。"語り継ぐ者"って、要するに"伝承を語る役目を持った者"のことだろ?」
西林は腕を組んで考え込む。
「もし、"語り継ぐこと"自体に何か意味があるなら…トンカラトンは"語らせる"為の存在なんじゃないか?」
東和田は静かに考え込み、それから呟く。
「……語り部が"人為的に作られる"としたら?」
二人はその可能性を胸に抱えながら、次の手がかりを探すことにした。
二人は「過去の語り部」について地元の住人に尋ね始めた。
だが、ほとんどの人間は口を閉ざし、まともに答えようとしない。
「その話はしない方がいい。」
「語り部の話をするな。……お前たちも巻き込まれるぞ。」
どこか怯えたような反応ばかりだった。
そんな中、ようやく一人の老人がぽつりと口を開いた。
「……桐生(きりゅう)に聞け。」
その瞬間、近くにいた村人がピクリと反応し、顔をしかめる。
「おい……その名前を出すな。」
「だが、アイツは"最後の語り部"を見た唯一の生き残りだろう?」
西林と東和田は、その言葉を聞いて顔を見合わせる。
「桐生って、誰ですか?」
老人は一瞬言いよどんだ。
「町外れに住んでる。"最後の語り部"がどうなったのかを見た男だ。」
「……"どうなった"って?」
東和田が慎重に尋ねる。
だが、老人はゆっくりと首を振った。
「もう……人じゃない。」
静かな声だった。だが、その言葉が妙に重く響いた。
村人たちは、それ以上何も言わずに立ち去っていった。
西林と東和田は、改めて顔を見合わせる。
"語り部"とは何なのか。"最後の語り部"とは?
そして、桐生は何を知っているのか――。
町外れにある桐生の家は、まるで時間に取り残されたようだった。
西林と東和田は互いに頷き合い、静かに玄関の前に立つ。
町外れにある桐生の家は、まるで時間に取り残されたようだった。
西林と東和田は互いに頷き合い、静かに玄関の前に立つ。
扉を叩くと、微かな物音が中から聞こえた。
――ギィィ……
錆びた蝶番がきしみ、わずかに扉が開く。
薄暗い室内から、白髪の老人がこちらを見つめていた。
「……お前たち、何をしに来た?」
かすれた声だった。
西林が一歩前に出て、慎重に言葉を選ぶ。
「桐生さんですよね? 俺たちは、この町の"語り部"について調べていて――」
その瞬間、老人の目が鋭く光った。
「帰れ。」
扉が、バタンと閉じかける。
東和田が慌てて口を開いた。
「待ってくれ! 俺たちはただ、"最後の語り部"がどうなったのかを知りたいんだ!」
……沈黙。
長い沈黙の後、桐生はゆっくりと扉を開けた。
「……それを知って、どうする?」
西林は一瞬迷ったが、正直に答えた。
「俺たちは、"語り部"の役割を知りたいんです。」
桐生はしばらく二人を見つめ、それから小さく息を吐いた。
「……なら、入れ。」
桐生の家の空気は、まるで湿った土の匂いが染みついたようだった。
西林と東和田は、奥の部屋へと通される。中はまるで博物館のようだった。
壁には古びた巻物や写真が並び、中央の机には分厚い書物が積み上げられている。
「座れ。」
――ギィィ……
古びた椅子に腰かけた桐生は、じっと二人を見つめていた。
「……あなたたち、もう遅いぞ。」
低く、掠れた声だった。
西林は、彼の姿に違和感を覚えた。
――肌が異様に乾いている。ひび割れた陶器のようだ。
――まばたきの間隔が異常に長い。まるで生気が抜けたような瞳。
――微かに、カラ……カラ……と音が鳴る。
その音の出所が、桐生自身だと気づいたとき、西林は息をのんだ。
「……その音、どこから?」
東和田が震えた声で尋ねる。
桐生はゆっくりと自分の腕を持ち上げた。
「ここだよ。」
西林の目が、思わず見開く。
桐生の腕の関節が、ほんの僅かに揺れるたびに――
カラ……カラ……
乾いた音が鳴った。
「あなたたち、"語り部"ってのがどういうものか、本当に理解してるのか?」
桐生は冷たく笑った。
「語り部はな……"感染"するんだよ。」
「語り部は、"なる"ものじゃない。"させられる"ものだ。」
桐生はそう言って、ゆっくりと指を動かした。
カラ……カラ……
微かな音が室内に響く。
「最初は何でもなかった。ただ、語ることが楽しくてな。…気づけば、"語らずにはいられなくなっていた"。」
桐生は目を細める。
「気づいたら、言葉が勝手に口をついて出る。……伝承が、私の内側で勝手に回り始める。」
西林は喉が渇くのを感じた。
「つまり……"語る"という行為自体が、あなたを"語り部"にしたってことか?」
「そうだ。語ることで、"伝承を語る者"に作り替えられていくんだよ。」
「じゃあ、あなたはもう……?」
東和田が恐る恐る問う。
桐生は皮肉げに微笑んだ。
「"個"としての私は、もういない。私は、"伝承そのもの"になりつつあるんだ。」
西林は、無意識に後ずさった。
「そんなことが……ありえるのか?」
「あなたたちも、すぐ分かるさ。」
桐生はゆっくりと立ち上がる。
――ギギ……
彼の動きに合わせ、カラカラと音が鳴る。
「あなたたちも、もう知りすぎた。……"語り継ぐ者"になるのは時間の問題だ。」
西林と東和田の心臓が跳ねた。
「逃げたければ、"語ることをやめる"んだな。」
西林が息を呑んだそのとき――
カラ……カラ……
室内に鳴る乾いた音が、外からも聞こえた。
「……!!」
二人は凍りつく。
桐生は、微動だにせず言った。
「来たか。」
西林は震える手でドアノブを握った。
「外に……何が?」
桐生は口元に笑みを浮かべる。
「"次の語り部"を迎えに来たんだよ。」
――――「……やっぱり来たか。」
桐生の家を出た瞬間、男が立っていた。
暗がりの中で、静かに煙草をくゆらせる。
「……南森さん?」
西林が足を止める。
東和田も驚きを隠せず、無意識に一歩後ずさった。
南森はゆっくりと煙を吐き出し、静かに言った。
「お前たち、もう戻れないぞ。」
「どういう意味ですか?」
西林の問いに、南森は煙草を足元で踏み消した。
「お前たちは、"知るべきじゃないこと"を知りすぎた。……そして、"語り部の領域"に踏み込んだ。」
「語り部の……領域?」
東和田が眉をひそめる。
南森は小さく息を吐き、静かに語り始めた。
「俺は、警察官でありながら製薬会社に雇われている。……目的は"語り部の管理"だ。」
「管理?」
西林が聞き返す。
「頓殻病と伝承の関係を研究し、利用しようとしている連中がいる。……製薬会社の目的はそこにある。」
東和田が表情を曇らせた。
「じゃあ……北海さんを連れていったのは?」
南森は無言で頷いた。
「……俺の指示じゃない。だが、"回収班"が動いたのは確かだ。」
「回収班……」
西林は息をのむ。
南森は視線を桐生の家へ向け、低く言った。
「俺の役割は、"語り部の管理者"として、語り部になりかけた者を監視し、必要なら"消す"ことだ。」
そのとき――
カラ……カラ……
家の中から、微かな音が響いた。
西林と東和田は全身が凍りついたように動けなくなる。
南森は視線を向けることなく、低く呟いた。
「……聞こえただろう。」
「……あの音……」
西林が声を絞り出す。
南森は静かに頷いた。
「カラカラ音。それは"語り部としての宿命の証"だ。」
「どういうこと……?」
「語り部になりかけた者の体内では、"異物"が生成される。……頓殻病の影響だ。」
「……それが"カラカラ音"?」
「だが、それだけじゃない。」
「音が鳴ることで、"語り継ぎの呪い"が発動する。」
「呪い……?」
「語り部は"伝承を維持する存在"だ。だから、語る者がいなくなると、"次の語り部"を生み出す。」
「つまり……」
東和田の顔が青ざめる。
「今、俺たちは"次の語り部として選ばれかけてる"ってことか……?」
南森は、言葉を発さずに頷いた。
その瞬間――
カラ……カラ……
今度は、はっきりとした音が家の中から響いた。
「!!」
西林と東和田は息をのむ。
「……来たな。」
南森が低く呟く。
「……あれは?」
西林が震える声で問う。
「"次の語り部"を迎えに来たんだよ。」
「……誰を?」
南森は微かに苦笑し、答えた。
「お前たち、もしくは……俺をな。」
カラ……カラ……
静寂の中に、乾いた音が響く。
夜の闇に包まれた路地の先、そこに"それ"は立っていた。
包帯に包まれた細い体。僅かに歪んだシルエット。
「……北海……?」
西林の喉が鳴る。
目を凝らせば、その包帯の隙間から覗く肌は、異様な硬質感を帯びていた。
「……助けないと……」
西林の足が、無意識に前へ進む。
「バカか、お前!」
東和田が西林の腕を強く掴んだ。
「よく見ろ……もうアイツは……」
西林は震える声で言う。
「でも……北海さんだろ……?」
東和田は息を詰まらせた。
「お前、正気か? "語り部になりかけた"やつが、まともなわけないだろ!」
「でも……」
「助ける? どうやって? そもそも、あれが本当に"北海"なのか?」
西林の心が揺れる。
目の前にいるのは、確かに北海の面影を残した"何か"だった。
「逃げろ!」
声が飛んだ。
南森が、携帯電話を耳に当てながら駆け寄ってくる。
「回収班を呼んだ! ここにいたら、お前たちまで"巻き込まれる"ぞ!」
「巻き込まれる……?」
「もうアイツは助からない……でも、お前たちはまだ間に合う!」
「そんな……」
西林は動けない。
「北海さんを見捨てろってことか……?」
「違う! もう見捨てるとかの問題じゃねぇんだよ!」
「でも……俺は……」
「クソッ!」
東和田は躊躇なく、西林の腕を強く引いた。
「いいから走れ! ここにいたら、本当に終わるぞ!」
西林の足が、無理やり動かされる。
「北海さん……!」
振り返ることなく、東和田は叫んだ。
「振り返るな!!」
カラ……カラ……
「逃げろ!」
南森の声が響いた瞬間、西林と東和田は駆け出した。
背後では、複数の足音が迫ってくる。
「捕まるな!」
南森の言葉が脳内で反響する。
暗闇に紛れながら、二人は全力で走り続けた。
どこまで走ったのか。
気づけば、西林と東和田は人の気配が少ない裏路地に身を潜めていた。
「……撒けたか?」
東和田が背後を警戒する。
西林は肩で息をしながら、頭を抱えた。
「北海さんは……?」
「分からねぇ。でも、あのまま放っとけるわけないだろ。」
二人は沈黙した。
「どこかに運ばれたのは確かだ。」東和田が言う。「じゃあ、どこに?」
「今は夜だし、ひとまず安全な場所で落ち着こう。」
「そうだな……。」
二人は慎重に移動し、人気のないカフェの隅で夜を明かした。
翌朝。
「北海さんが生きてるなら、どこかで管理されてるはず。」
西林が言う。
「やっぱり病院か?」
「可能性はあるな。とにかく情報を集めよう。」
二人は、病院を訪れることを決意した。
――――「頓殻病の患者がここに入院してるはずなんですが……。」
受付で東和田が尋ねると、看護師は怪訝な顔をした。
「……頓殻病?」
「ええ。最近、噂になってる奇病です。」
「申し訳ありませんが、そんな病名はうちにはありません。」
東和田が眉をひそめる。
「じゃあ、ここ最近、急に運び込まれた患者は?」
「急患は何件かありましたが……それが"頓殻病"かどうかは分かりません。」
西林は腕を組んだ。
――病院で管理されているわけではない?
病院を出た二人は、歩きながら思考を巡らせた。
「おかしいよな。」
東和田が言う。
「感染症なら、病院で隔離するのが普通だ。なのに、記録すらないってのは……。」
「どこかに運ばれたのか……?」
西林はスマホを取り出し、過去の調査メモをスクロールした。
「頓殻病の噂が広まり始めたのって、ちょうどこの村に製薬会社の研究施設ができた時期と一致する。」
「……ってことは、病院じゃなく、製薬会社に回収されたってことか?」
その可能性に気づいた瞬間、背筋が寒くなった。
「おい、話がある。」
低い声が響いた。
振り向くと、南森が建物の影からこちらを見ていた。
「お前ら、何を調べてる?」
東和田が目を細めた。「そっちこそ、何のつもりだ?」
南森はポケットから煙草を取り出し、ゆっくりと火をつけた。
「……病院じゃない。"製薬会社"だ。」
西林の心臓が跳ねた。
「やっぱり……。」
南森は煙を吐き出しながら、低く言った。
「お前らは"病気"だと思ってるだろ。違う。頓殻病ってのは、"かかる"ものじゃなく、"かけられる"ものだ。」
「かけられる……?」
「語り部の実験体だよ。アイツらは"語り部の適性"を持つ人間を集めて、頓殻病を"人工的に発症"させてる。」
「……北海は?」
西林の声が震えた。
「奴は"適性あり"と判断されたんだろうな。」
南森は、それ以上は言わなかった。
東和田が舌打ちした。
「クソッ……つまり、製薬会社が"語り部を作ろうとしてる"ってことか?」
「……もう手を引け。」南森が静かに言う。
「俺はこれ以上、お前らに関わらねぇ。忠告はしたからな。」
南森は背を向け、街に消えた。
西林と東和田は、言葉を失って立ち尽くす。
「……北海の調べていた伝承を追うしかないな。」
西林は静かに言った。
東和田が深く息を吐く。
「……行こう。」
二人は、北海が残した手がかりを求めて歩き出した―――――
―――――夜の街を歩く。
「……クソが。」
南森はポケットから煙草を取り出し、火をつけた。
いつも通りのルート、何度も歩いたこの道なのに、今夜は妙に足が重い。
──俺はただ、いつも通りの仕事をしただけだ。
そう言い聞かせる。
……だが、妙な後味の悪さが残っていた。
ポケットの中でスマホが震える。
「……あぁ?」
ディスプレイには、「非通知」の文字。
南森は煙をくゆらせながら、通話を繋いだ。
『対象は排除すべきだった。』
低い声が、静かに告げる。
「さっさと手を引かせる方が得策だろ。」
『お前の判断で動くな。次はないぞ。』
「……了解。」
通話が切れる。
南森は舌打ちし、スマホをポケットにしまった。
──また同じことを繰り返してるのか?
脳裏に、数年前の記憶が蘇る。
あの時、俺は命令に従った。
その結果、何が起こった?
……考えるな。
組織の一員として、生き残ることが最優先だ。
「確かめるか……。」
南森は歩き出した。
行き先は、「組織の人間が出入りするバー」。
そこには、製薬会社の関係者が集まる情報源があった。
──次に会うとき、俺はあいつらを助けられるのか?
そんな疑問を振り払うように、夜の闇へと消えていった。
続く
【あとがき】
最後まで読んでくださった方々、
誠にありがとうございます。
昔見た、「トイレの花子さん」というアニメに出てきた〝トンカラトン〟が忘れられず書き始めました。
最後まで楽しんで頂けたら幸いです。
では次の作品も楽しんで頂けることを、祈ります。
お疲れ様でした。
カナモノユウキ
《作品利用について》
・もしもこちらの作品を読んで「朗読したい」「使いたい」
そう思っていただける方が居ましたら喜んで「どうぞ」と言います。
ただ〝お願いごと〟が3つほどございます。
ご使用の際はメール又はコメントなどでお知らせください。
※事前報告、お願いいたします。配信アプリなどで利用の際は【#カナモノさん】とタグをつけて頂きますようお願いいたします。
自作での発信とするのはおやめ下さい。
尚、一人称や日付の変更などは構いません。
内容変更の際はメールでのご相談お願いいたします。