深煎りに、とことん、深入り。
お店でコーヒーを飲む時や、豆を買う時は、実は浅煎りよりの豆を選ぶ事が多い。浅煎りは、とても良い刺激になるし、気分転換にもなる。
それに加えて、最近は発酵やインフューズドブームもあり、焙煎度問わず風変わりなコーヒーがとても多い。面白いし、色んな可能性が浮かぶ。
常に色んなコーヒーを飲み漁り、多様化していくコーヒー界で感じるのは、自分が求めてるのは、あくまでも〝古典的な珈琲〟だと言うことだ。ここに帰ってくる。
珈琲とは苦味。なぜ珈琲の苦味にここまで引き込まれているのかわからなかった。なぜなら、私はもともと大の甘党だからである。コーヒーも飲める様になったのはここ10年の出来事だ。不思議だ。
そもそも苦味とはなんだ。甘味や塩味と比べても、どちらかと言うとネガティブな印象を受ける。
これは完全に主観だが、浅煎りは明るい。深煎りは暗い。焙煎は深くすればするほど、苦味が強くなっていく。どんどんネガティブが増えていく。なぜ自分からネガティブを助長させる手法を取るのだろう。
そう。私の中で、深煎り=暗い=ネガティブなのだ。その暗くてネガティブな苦味の世界観の中に、神秘的な無限の可能性すら感じる。
そしてそこに更に深入りする…
私は〝なぜ?〟が好きだ。いわゆるロジカル思考というやつだ。私はなぜ苦味の世界が好きなのか。とことん追求してやる。
苦味の世界に何を感じて、何に惹かれているのか。いや、もはや取り憑かれている。
そーっと苦味の世界の中を覗いてみる。するとそこには〝自分〟がいる。間違いない。いわゆる深層心理という奴や、有耶無耶した〝何か〟がいる。苦味というネガティブを通して、自分の中のネガティブを投影している。おそらく、ネルでじっくり淹れるのが好きなのも同じ理由だろうと思う。
そう。私にとって深煎り珈琲との時間は、自己統一の時間なんだろうと思う。巷でいう、マインドフルネスと言うものにも近しい。
私は深煎り珈琲に潜む苦味の世界で、自分探しの旅をしている。珈琲を通して自分を見つめる。
深煎りに、とことん〝深入り〟していくのだ。