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珈琲と女性。焙煎と歳。
珈琲は女性だ。
というのも、私はよく珈琲を人に例える事が多い。9割型女性だ。私が女好きというのもあるだろう。
珈琲をテイスティングする際、この珈琲はどんな気質だろうなとイメージする。人間と同じ様に、キャラクターがあるからだ。
焙煎は歳。
浅煎りほど若く、深煎りほど熟れたイメージ。同じ珈琲豆でも、煎り具合でガラッとイメージが変わる。私の中で、酸は若さ、苦みは熟度の象徴なのかもしれない。
例えば、私の好きなエチオピアモカ。
とても華やかで、優雅で、気品があり、まさしく女性性を強く感じる珈琲豆だ。
同じ豆でも、浅煎りだと、ピーチやベリーの様なフレッシュな風味を感じる。若々しく、瑞々しい。麦わら帽子に白いワンピースを着た天真爛漫な少女の様。
一方深煎りは、クローブやカルダモンなどのスパイス、そしてワインやブランデーなどのアルコールを彷彿とさせる風味。熟した気品、大人の色気を感じる。魔女の様な黒い広口のハットに、黒を基調としたエレガントなドレスを着た貴婦人の様。
面白いことに、イメージの人格は同じ人物であるという事。つまり、年齢だけが違うのだ。
一般的には、フレーバーノートと言って、コーヒーの風味を果物や花などに例える。コーヒー屋さんに行ったら、それぞれの豆ごとに風味の印象として記載されている事が多い。
私のベロは、その様な引き出しが限りなく狭い。もちろんスペシャルティコーヒーについて、学んだ方が良いに決まっている。ただそれ以上に、自分の中の感覚、自分のベロが感じたイメージを大切にしたいのだ。
珈琲を通して、感性を磨き上げる。
それが私にとっての〝珈琲道〟なのかもしれない。