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珈琲という表現。


先日、「旅鳥たちの芸術祭」というイベントに出店した。廃校になった小学校の校舎が会場で、キュレーター(企画者)が集めた様々なアーティストの方々が展示をしたり、目の見えない白鳥さんという方のドキュメンタリー映画の上映会をしたりなど、大いに賑わった。
出店されていたのはアーティストと呼ばれる方だけではなく、ヴィーガンカレー屋さんや、移動動物園などの出店もあった。
大テーマは〝現代アート〟だが、もっと大きな括りとして、〝自己表現の場〟とも言えるだろう。

誰もが自己表現と直接口に出していたわけではないが、何となく空気感がその自己表現の場な感じを勝手に感じていた。
そんな中、二日間過ごしてみて、自身にとって珈琲とはなんだ?なぜ珈琲なんだ?珈琲で何を伝えたい?そう言った根源的な事を常に自分に問いかけているようだった。

今回のイベントのキュレーターは、私のパートナーの女性だ。彼女とはよく、価値観の話を普段からよくする。いや、話過ぎだとお互いが自覚している。
その中でかなめ珈琲の話もする。彼女からフィードバックや気づきを貰うこともしばしば。
イベント後には、お互い振り返りをした。その会話の中で、かなめ珈琲には明確なコンセプトがない。という事が私の中で悩みの一つだった。
うつ病やひきこもりの当事者だったり、繊細な感覚を持つ人間だったり、一つ一つの要素はあるものの、コンセプトに至らない、というのが私の中の感覚。
でも、そんな私が淹れてるからこそのかなめ珈琲だし、それ自体が十分なコンセプトだ。と彼女が教えてくれた。そう、自分でうまく言語化出来なくても良いし、言語化しなくても良いのかもしれない。
色々あった私の人生の中で、なぜか珈琲に取り憑かれたストーリーがあり、今もこうやってかなめ珈琲として4年目を迎えている。その一つ一つの積み重ねがかなめ珈琲のコンセプトだ。

今回、アーティストの方々とご一緒出来て良かった。身をもって〝表現〟について学んだ気がする。そんな有意義なイベントだった。

#珈琲 #自己表現 #自家焙煎 #ネルドリップ #深煎り #ひきこもり #うつ病

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