えちごトキめき鉄道の夜行急行の旅
いつもお読みいただき、ありがたうございます。玉川可奈子です。
いきなり宣伝で恐縮ですが、日本花卉文化株式会社さまのマガジンに以下の記事を書かせていただきました。併せてお読みいただけたら幸甚です。
前に、長良川鉄道の夜行列車(ムーンライトながら)乗りました。その時のことは、以下の記事に書き残しました。
その時に味を占めたのか、再び夜行列車に乗りに行きました。現在、定期運行してゐる夜行列車はサンライズ出雲・瀬戸だけです(臨時でWestExpress銀河もあります)。かうした現状で、私どもが夜行列車に乗る方法は、各々の鉄道会社が企画してゐるソレです。
今回、乗車するのは、えちごトキめき鉄道が運行させてゐる夜行急行です。その営業する範囲内の路線(直江津駅から市振駅、直江津駅から妙高高原駅)で行つたり来たりしながら夜行列車を走らせてゐます。
長野電鉄と湯田中温泉
旅立ちは、早朝のバスタ新宿。
なかなかの人混みです。さう、けふは大晦日です。
長野駅前行きの高速バス(京王バス)に乗ります。
バスの中で、新宿駅で購入した駅弁をいただきました。
神戸のすきやきとステーキ弁当ですが、美味しくいただきました。
横川SAで、しばしの休憩時間。峠の釜飯を買ひました。
長野駅に着きました。
ここから、長野電鉄に乗ります。
乗る前に、駅の立ち食ひそば屋で、おそばをいただきました。天たまそば(420円)です。
それにしても、駅は外国人が多く、その多くはキャリーケースを引いてゐて邪魔です。繰り返します。とにかく、邪魔です。さらに、道の真ん中を塞ぐし、五月蝿いし(しつこいと思はれても、書きます)。
長野電鉄のホームへ行きます。まづは特急スノーモンキーに乗り、終点の湯田中駅を目指します。
かつての成田エクスプレスですね。読者の方でも、乗られた方もをられるのではないでせうか。
長野電鉄は、かつての各地で活躍した車両がいくつも現役で運用されてゐます。なんだか博物館みたいですね。
この路線に乗るのも、久し振りです。七年か八年振りでせうか。あの時は、週末パスを利用して、アルピコ交通や仙台の地下鉄、仙石東北ラインに乗りました。
実のないりんごの木を見、須坂駅あたりでは長野刑務所の脇を通過しました。車窓から施設内が覗けるとは…。そして、湯田中駅に着きました。
改札を出て駅舎の外へ行くと、雨。そして、人だかりです。私は、駅舎の裏にある楓の湯に行きました。
楓の湯は掛け流しの天然温泉。入るのは久し振りです。半身浴でぬくぬくです。
帰りは、かつてのロマンスカーである特急湯けむり号です。
後面展望席に座りました。
えちごトキめき鉄道と夜行急行
長野駅に戻りました。ここから上越妙高駅まで北陸新幹線に乗ります。
はくたか569号に乗り、わづか二十分程度で上越妙高駅に着きました。
上越妙高駅では、かなりの人が降りてゐました。帰省でせうか。スキー客のやうな人はゐませんでした。
さらに、特急しらゆき7号で直江津駅へ行きます。
途中、はだれ雪が薄暗い車窓に見えました。しかし、外は雨です。
すぐに直江津駅に着きました。
直江津駅の待合室には、多くの鉄ヲタの姿が。その中には、女性二人組や、若い女性の姿もありました。彼らの目的は、さう、私と同じ年越し夜行急行に乗ることです。
ある親子の子は、車掌の帽子をかぶり、楽しさう。きつと良い思ひ出になるでせう。私が子供の頃には、さくら、あさかぜ、富士、はやぶさなど多くの寝台特急があつたのですが、今では定期運行はサンライズ出雲・瀬戸のみです。企画商品でも、夜行列車は貴重なものですから、この子にとつて、本当に良き経験になることでせう。
十八時に受付をして、ホームへ行きました。受付をしてくれたのはトキ鉄の社長でした。
外はすごい雨です。
ホームへ降りると、停まつてゐました。455系と413系の三両編成です。
記憶が確かなら、この車両には大学卒業後の北陸旅行で乗りました。その時以来の再会です。
座席はロングシートとボックスシートの二種類があるのですが、私は奮発してボックスシートを予約してゐました。二号車の真ん中あたりの席、海側なのが嬉しいです。とは言へ、ぬばたまの夜の闇の中、日本海はもちろん、芭蕉も見た親不知を望むべくもありません。
乗車して間もなく、横川SAで買つた峠の釜飯をいただきました。安定の美味しさ。玉川、峠の釜飯が駅弁の中で一番好きかも。今年最後のご飯が、大好きな駅弁なのは嬉しいですね。
十八時三十六分、直江津駅を夜行急行は出発しました。まづは日本海ひすいラインです。
車内は思ひの外、静かです。前回のムーンライトながらの時のやうな酒盛りは起きてません。
列車は急行といふだけあり、それなりの速度で走つてゐます。
十九時七分、ヒスイで知られる糸魚川駅に着きました。
※たびてくさまの記事を「勝手」に拝借いたしました。ご参考までに。
多くの人が写真を撮るために外に出ました。私もその一人です。
先頭車両を撮るため、カメラを向けてゐたところ、突然、おぢさんが列車に乗りました。それを見て思はず、
「おぢさん、邪魔、早く乗つて!」
とつぶやいたら、隣にゐた少年が私の顔を見て、ニヤりとしました。
再び、列車に乗り、十九時三十五分、えちごトキめき鉄道の境界である市振駅に着きました。雨足が激しいので、車内で過ごしました。そして、いつの間にか寝てゐました。
二十一時半頃、目を覚ますと再び直江津駅へ戻つてゐました。
ホームで整理券を社長に渡し、おせちをいただきました。
今度は妙高高原駅方面へ、妙高はねうまラインへと向かひます。闇の中、列車は走ります。途中、スイッチバック駅で知られる二本木駅に九分停まりました。
ここでもまた寝てしまひ、二十三時十二分に妙高高原駅を出発した頃も意識はなく、気づいたら二十三時五十四分、直江津駅に着きました。
外には人がたくさんゐます。新年のカウントダウンが始まり、直江津駅で令和六年を迎へました。
寒い中お汁粉とカップ麺をいただきました。
鳥塚亮社長のバイタリティに圧倒されました。流石、明治大学商学部卒業の先輩です。鉄ヲタの気持ちがわかつてをられるし、こんな時間まで乗客と応対してゐて感激しました。
先頭車両を見てみると、ヘッドマークがなかつた車両に元旦ヘッドマークが付いてゐました。
いつの間にか、グッズ売り場ができてゐて、サボを買つた方が取付けてゐたのを撮らせていただきました。
かういう時の鉄道グッズは、衝動買ひしたくなるので危険。ほんたう、危険。
一時二十分、列車は再びひすいラインを走ります。少し疲れたのか、またまた横になりました。そして気がつけば六時十分頃。直江津駅までは後少しです。車窓は言ふまでもなく暗闇の中。しかし、それが夜行列車の魅力です。季節が変はれば、美しい朝の越路を楽しめませう。
そして六時十八分、直江津駅に着きました。十二時間近い楽しい夜行列車の旅ですが、随分と長く寝てゐました。
日頃の疲れが一気に出たのでせう。イレギュラーなことがたくさん起こり、ただでさへ多忙な業務がより多忙になり、さらに他の職員の助けを借りたくはなかつたので、いつも以上に励み…。昨年の十二月二十七日には激しい頭痛で午前中、時間休を取るなど、身体はサインを出してゐたのですが(なほ、その時にある幹部職員の方から「無理すんなよ」と言はれたのはありがたいことでした)。
次に来る時は、四月の夜桜夜行急行、ですね。次はロングシートにします。昨年と同じならば、十九時十分のはくたか575号に乗り、上越妙高駅で乗り換へて二十一時四十七分に直江津駅に着けます。
しなの鉄道
直江津駅から、上越妙高駅に行きます。
六時五十二分の列車に乗り、わづか十七分で上越妙高駅に着きました。夜行列車組がたくさんゐます。
駅前の釜ぶたの湯へ行きます。
温泉は、循環濾過・加水・加温がされてゐるものの滑りのある湯でした。
サウナと塩サウナにも入りました。水風呂が異様に冷たく、サウナはぬるめなので長く入れました。新年初サウナ、ととのひサウナで脳みそスツキリ!しました。なほ、今年は以前のやうに十分六セットのやうな入り方はやめて、もつとゆるくします。行く頻度も減らします。
お風呂は半身浴をしてゐたのですが、すぐに汗が溢れてきます。
お風呂上がり、駅前を少し歩くとこの辺りは釜蓋遺跡といふのがあるさうですね。弥生時代から、古墳時代の頃の遺跡ださうです。
再び列車に乗り、妙高高原駅まで行きます。
妙高高原駅あたりはさすがに雪が見えます。
妙高高原駅でしばらく待ち、軽井沢リゾート2号に乗ります。
新型車両で、京王ライナーみたいです。
しばらく車窓の雪景色を楽しみ、南に行けば行くほど雪はなくなりまばらになりました。
豊野駅を出たあたりには雪はありません。
長野駅で客の入れ替へがありました。車内はそれほど混んでゐません。
そして、軽井沢駅まではかつての特急あさま並みに駅を飛ばし、十三時五十五分に軽井沢駅に着きました。そして、あさま642号で東京に帰りました。
長野電鉄、えちごトキめき鉄道、しなの鉄道。三つの会社線に乗ることができたのは、年末から新年にかけて嬉しいことでした。
インフルエンザ陽性
新幹線の車内で、にはかに寒気や倦怠感に襲はれました。軽い頭痛もします。タクシーで家に帰り、体温を計ると…三十九度。お熱が出てゐました。職場に報告し、すぐに寝ました。自分でもわかるくらゐに苦しみ、かつうなされました。
翌日、カロナールを随分と飲みました。その結果でせうか、少しは動けましたが本調子ではなく、ずつと寝てゐました。
三日。三十七度になりました。カロナールも飲まず、ドラッグストアに抗原検査キットを買ひに行きました。結果は、陰性。武漢熱ではありませんでした。
四日になり、仕事始めといふことで近くの病院へ。熱は三十六度八分。検査の結果、インフルエンザA型でした。
五日。鼻水、咳は残るも、平熱まで下がりました。ただ、インフルとの関連は分かりませんが年末から胃が痛くなることが多く、苦しいです。
ただ、昨夏の武漢熱にくらべるとかなり楽です。武漢熱にかかつた初日は、布団から起き上がるのさへできなかつたのに、今回は熱は上がつたものの、そこまでではありませんでした。フラフラもそこまでありませんでした。
心苦しくも、寝正月となりました…。
心屋仁之助のいふ「強制終了」だつたのでせうか。
とにかく、無理はいけません。
最後までお読みいただき、ありがたうございました。