
初夏の実家は半径50mが全部「うち」みたい
実家にて。
甥っ子とイチゴ狩りをした。
もちろん、実家の畑で。
まだ2歳にもならない彼の足取りはおぼつかないながらもしっかりしてきていた。
むんぎゅとイチゴを掴んでは潰してしまったり、イチゴを渡すとカゴに投げ入れたり、掴むたびにキャッキャと笑いながら楽しんでいた。
日焼けした肌。
これは、ベトナムに住んでいた証。
年中海にいて冬でも焼けているのだ。
とても健康そうだ。
抱っこやスキンシップには興味ないくせに、近くにみんながいてくれることが一番の幸せ、な、甥っ子。
おばばに似てるな・・・と思う。
また近いいつかベトナムに行ってしまうの、寂しいな。
イチゴ以外にも、玉ねぎやきゅうりをもらう。
今年は玉ねぎがうまくできなかったと言っていたけれど、その不揃いで大小様々な形は見ていると楽しい。
小さいものは丸ごとスープにしようかなとか、見ながらお料理を考える。
トリトマという大きな株の花は、どうやら南アフリカでは高地で自生しているらしい。
ガーベラは確かずっと何年も前に植えたものがどんどん増えて大きくなっている気がする。
夏の花は情熱的だなあ。
色が強くて生き生きとしている。
「花を株ごと持って帰るかい?」と聞かれたけど、夫は花にはまだあまり興味が湧かないようだ。
最近やっと家庭菜園をやり出して「食べられるもの」を育てることに夢中だからだ。
お花はいつか、ね。
庭の湧水のところにはカニが数匹いた。
だいぶ前、私が幼い頃に湧水を引いたんだったか、、、庭の一角で水が常に流れている場所がある。
夏になると、ふとカニがやってくる。
そしていつの日かみんないなくなる。
不思議。かわいい。
何しにくるんだろう。
どこにいくんだろう。
実家に行くと、途端に時間の流れが緩やかになる。
花があり、野菜があり、山があり、川があり、そこら中に季節で変化する自然がある。
近所のおばちゃんにあって立ち話したり、甥っ子は車に乗りたいとせがんでそれをみんなで見守ったり、外のベンチでお茶したりしていると、外と内が緩やかにつながっているのを感じる。
家というものが、家という建物の中ではなく、近所の小道や隣の家の庭や田んぼや畑まで、シームレスで、どこにいても、家の延長、その辺り全部「うち」って感じ。
広がっている。
寝たきりのおばばちゃんの細くて皺皺の手を握って、暑いね、またくるね、と言った。
窓から風。
この部屋も、外のような中のような曖昧な部屋だ。
心地いい。
さて、もう1つの、わたしたちの家に帰ろう。
またいつだって何度だってこよう。
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