【お店を作る①】「奥さん、お店やんない?」
2010年から10年間やってきたお店がある。
服やアクセサリー、雑貨も扱い、毎月イベントを行う、
ライフスタイルショップ「長月」というお店だ。
10年の間、2回店名を変えて、1回改装をして、1回増床。
2020年2月に閉店した。
辞める直近の2019年の売り上げは年商4700万円ほど。
10年間で一番売り上げが良かった年に辞めることを決めた。(売れてたのになんで?ってことについてはまた追々)
その時でスタッフ4名、30坪の店。
岐阜県の郊外にある、少し寂れ気味の小さな集合施設のテナント。
楽しくて素敵なお店だった。
閉店してしまったけれど、せっかくなのでお店の歴史を書いてみようと思う。
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①はじまり 「奥さん、お店やんない?」
あともう少しで30歳になるという、2009年12月末。
夫から突然の打診。
「うちの社長から、奥さんお店やらない?って聞かれたけどどうする?」
夫の勤めていた会社は不動産会社で、その頃ヴィレッジバンガードのフランチャイズや、雑貨店などの運営もしていた。
(夫はヴィレッジの店長だった)
その中の一つに、ナチュラルな可愛らしい雰囲気の人気の雑貨店「mignon」があった。
その雑貨店を、訳あって会社としては手放すらしい。
だけどせっかくだから知ってる人に続けて運営してもらえると嬉しい、ということらしかった。
その頃私は、長く勤めていた会社を辞めて、インテリアコーディネーターとしてインテリアショップで社員になったばかりだった。
働き出して3ヶ月目。
とは言え、会社員としてそこでずっと働くというイメージはなかった。
「人間関係によるストレス」
「理不尽な時間の使い方」
が、自分の性質に合わず。
「会社に所属せず自分で仕事をすれば、自分でコントロールできるのでは?」
という気持ちを持っていた頃。
会社勤めをしながらも、インテリアコーディネーターか何かでフリーランスとして仕事がしたいな〜と漠然と思っていた。
そんな時だったので、夫の話には割と二つ返事で「やりたい!」と言った。
私たちはすぐに検討を始めた。
世の中は仕事納めをし、ゆっくりと年末年始休業に入る頃だった。
②決定まで 「タイムリミットは1週間」
やるかやらないかを決めるタイムリミットは、なんと1週間。
2009年の年末に話をもらい、2010年の1月3日に決定したい!とのことだった。
(要するに、年末年始の休み中に決めてな〜〜みたいな感じ)
そして、3月からもう私が経営しないといけないらしい。
人生の大きな決断なのに急すぎるやろ!
自分で経営をするのはお互い初めてだし、そもそもそのお店の集客の盛り上がりはピークをとっくに過ぎていた。
集合施設自体も抜けているテナントも増えてきて、「あの場所か〜今行かないよね・・・」みたいな印象すらあるエリアだった。
お店を譲り受けて大丈夫なのか?
経営者の知り合いも全然いない中、唯一コンビニ経営をしている親戚のおじさんに相談をした。
経営者として、立地や客単価や集客や、、、いろんな「お店の常識」を教えてもらった。
今思うと、コンビニ経営している経営の感覚と、趣味でやるような雑貨店では全く目指すところも違う。
おじさんも、(立地も悪いし下火になっとる場所やし、いやそれ、儲からんやろ・・・)ってきっと思ってたと思うけど、わたしたちのやりたい気持ちを尊重して丁寧に話してくれたんだろうな。
私たちは、身近な経営者さんの話が聞けて少しだけ安堵した。
③家族の反応 「心配、だけどもう決めたんでしょ」
夫は夫で「自分のお店がやってみたい」という時だったし、彼は会社員も続けるから、妻がやる店は「赤字にならなければいいだろう」という軽い気持ちもあった。
私は心配より不安より、ワクワクする気持ちが強かった。
自分で経営ができるなんて!
って、楽しみでしかたなかった。
お店を始めることの相談を、おじさん以外に私たちはほとんど誰にもせず、2人で決めた。
そもそも、急すぎて「相談できるほどの知識」がなかったし、あの場所でお店をやるの?という点で誰にもいい顔される気がしなかったから。
かと言って、全く状況を知らない人に「いいね!やればいいじゃん!」なんて無責任に言われるのも納得がいかない。
家族にだけは報告したけれど、私の親も夫の親も公務員。
父親は、商売のことはわからないけど、とにかく借金だけはするな、変なところでお金を借りるな、みたいな、お金の心配だけはしてくれていたようだ。
多分商売をやったことがないから、商売上の「借金」の意味もわからず、「経営」というものは「やばくなってきたら首吊る」くらいのイメージで捉えていたんだと思う。
(本当に)
結局、もう「やる」って決めていたのだから、身近な大事な人(家族とか)に背中を押してもらって、何かあっても助けてあげるという声が聞けただけでよかった、その時は。
④在庫買取金額 300万円
1月3日に無事「やります」と伝えて、すぐに契約をした。
夫の会社から「在庫や什器全部をまとめて買う」という形で、お店を譲り受けることになった。
買取金額 300万円
(棚卸しの際の上代の30%の金額と言われていた。ということは販売価格で1000万円くらいの在庫があったのだ。)
これを、毎月10万円、無利子で、夫の会社に支払いをすることになった。
この頃、「お金を借りる」という手段も知らないし、契約書の見方もあまりわかっていない。
300万円が高いか安いか、妥当かどうかもわからない。
でも、自分たちの中で「ちょっといい車を買うくらいだな」という想像の範囲内ではあったから納得はできた。
知らない会社相手だったら、何かおかしなことがあっても気づかないくらい無知だった私だけれど、夫の会社がスムーズに段取りしてくれたおかげで、安心して引き継げたのだと思う。
そして私は年末年始休業後の初出勤時に、社員にしてもらったばかりの会社に対して「退職願」を提出。
申し訳ないな・・・という気持ちと、新しいスタッフが入る際の引き継ぎもあり、すぐに辞められず2月末日まで働くことになった。
だけど3月初めからは自分がお店に立たなくてはいけない。
今までそのお店にいたスタッフさんを1人確保して続けて働いてもらえるように頼み、3月までに仕事の合間にできる限りの準備や引き継ぎをした。
そしてその唯一のスタッフが・・・
オープン初日に、、、、
辞めた、、、、
<お店データ 2010年時>
・岐阜県羽島郡岐南町、郊外の商業施設の1Fテナント
・店舗面積20坪、共同駐車場あり
・家賃約15万円
・在庫・什器の買取金額 300万円(無利子で分割で支払い)
・個人事業主、代表:自分、スタッフ:1人(予定)
・写真なし・・・・
<オープンまでの流れ>
2009年 12月末 お店やらないか?と話が来る
2010年 1月3日 契約
2010年 1月初旬 退職願提出
2010年 2月末まで 会社員として働く
2010年 3月3日 mignonスタート
(中身は変わっていないのでお客様は経営が変わったとは知らない)
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