あっちゃんのこれからの暮らしについて少しずつ考える
今年もオンライン帰省
今年もお正月は実家に帰らなかった。コロナ以降、もうずっと帰省していない。あっちゃんは身体が弱く持病もあり、ワクチンも打っていない。コロナに罹ったら重症になるから帰ってこないでと親に言われている。
代わりに、毎年お正月と母の誕生日にはオンラインで乾杯をしている。半年ぶりに画面越しで会った両親は、あまり変わっていなくて安心した。父は相変わらずお酒をよく飲み、「最近、量が少なくなった」と言いつつ、毎晩ビールロング缶2本と日本酒2合、最後にウイスキーをストレートで飲むらしい。(私の肝臓の強さは父親譲りだと思う。)画面越しによく分からない駄洒落を飛ばしてきて、母に「つまらない、バカじゃないの」と冷たくあしらわれ、そのやりとりが相変わらずでおかしい。
あっちゃんも、相変わらずだった。じっとしていられないので、いつも家の中をうろうろしている。画面の端っこに現れたり消えたり。立ち止まっている時も足踏みはしたままで、静止していられない。顎がよく外れるので、防止バンドを頭から顎にぐるぐる巻いている。ガリガリに痩せているけど、よく食べる。いつも一瞬で食べ終わる。歯がほとんど抜けてしまっているので、柔らかいものしか食べれない。
兄のあっちゃんのこと
あっちゃんは、私の3つ上の兄。厚人(あつひと)という名前で、小さい頃から皆に「あっちゃん」と呼ばれている。
あっちゃんには、軽度の知的障害がある。中学校までは地元の公立校に通い、高校は養護学校(当時)へ行った。卒業後は作業所で働いていたけど、環境が合わなかったり色々あったりして、20代後半で統合失調症に。徐々に体調が悪くなって、何も食べれない水も飲めない日が続き、部屋の中で動けなくなって、倒れてしまった。措置入院となり、メガネを外され、真っ白で何もない部屋でベットに手足を拘束されたと母から聞いた時はショックだった。その1年前くらいから、幻聴は聞こえていたらしい。その後、体調によって増減する幻聴と付き合いながら、実家で療養生活を送っている。
今、あっちゃんの面倒は親が見ている(ほぼ母が)。両親も高齢だし、亡くなった後どうするかを具体的に考え始めないとな、と思ってからもうだいぶ経ってしまった。
あっちゃんは近頃また幻聴が聞こえるようで、「誰かに暗殺される」とよく言うらしい。「暗殺されるほど有名人じゃないから大丈夫だよ」と親はつっこむ。「次に生まれ変わったら人間になりたくない」と言うので、じゃあ何になりたいのと聞くと「こおろぎ」と答えた、と母が笑って言っていた。
これからの暮らしについて、少しずつ、考えていこう
最近は、「おっかあが死んだら自分も死ぬ」と言うらしい。一人じゃ生きていけないのを感じて、不安に思っている。一時はグループホームに入ると意気込んでいた時期もあったけど、今は「行く場所がない」と後ろ向きだ。
私も、兄が入れるグループホームをつくりたい、暮らす場所でありつつ、いろいろな人が集って活動できる場所にしたいなど考えて、母と相談していたこともあった。母は、「家の前に小さい畑をつくって、1階は喫茶店にしたい」と言っていた。メニューはコーヒーと、おにぎりとお味噌汁くらいの、小さいお店。私はそこで、友人の音楽家を集めてライブをしたり、展示したり、お酒も出したいと盛り上がったこともあった。
母が近所で畑をやっている人とコンタクトとったり、見学に行っていたこともあった。でも、いろいろ条件が合わなくて、なんとなくそのまま流れてしまった。私も忙しいのを言い訳に、すっかり忘れてしまっていた、というか、考えないようにしていた。でも、この前兄がすごく後ろ向きになっているのを見て、何か動かねばと思った。
まずは、整理したり、調べたり、考えたりしたことを記録していこうと思う。少しずつ、でもストップせずに。