(後編)寒覚鬼トンネル-ウルトラマックスGIGAジャンボ餃子店に幽霊現るの巻-
「ねえ、ユキちゃん……もしも、さ」
「なんだよ」
「もしも……わたしがさ」
「だからなんだよって」
「ユキちゃんと一緒に死にたいって言ったら、どうする?」
「なにそれ」
「一緒に死んでくれる?」
「……嫌だよ」
「そっか」
「うん」
「……」
「嫌だけど、さ」
「……」
「一緒に生きようって言うなら、別」
「ユキちゃん、わたしのこと嫌いなくせに」
「うん」
「一緒に生きてくれるんだ」
「……やっぱ、それも嫌」
「じゃあ……私、どうすればいいの?」
「どうでもいい」
「……なんで? なんでそんなこというの?」
「死ぬなら――」
※
「――ああああああああっ! 一人で死ね美幸!」
ぼぐっ、と変な音がした。
両腕ががっしり固定されてるならと、体を持ち上げて両足を美幸の腹に捩じ込んでやった。
ドロップキックみたいに。
「死ね! 死ね! 一人で死ね! 死ね死ね死ね!」
美幸の体にボコボコに蹴りを見舞う。
私を飲み込むためにぐにゃぐにゃのどろどろになった美幸の体。腕が伸びたことに比例して躊躇い傷の間隔も広くなってる。
それでも私は止まらない。やめてやらない。
「ずっとずっとずっと言いたかったんだよ! ずっと一緒なんてできるわけねえだろバカが! ずっと一緒に生きるなんてできねえんだよバカ! 一緒に死ぬなんて嫌なんだよバカ! ちょっとならいいけどずっとなんて嫌なんだよバカ!」
トンネルの暗さなんて関係なかった。
足の痛みなんて関係なかった。
「私と一緒に死にたいならお前が来い! 私と一緒に生きたいならお前が合わせろ! こっちはお前に合わせるなんてもう嫌なんだよ!」
倒れる美幸にのしかかってボコボコに殴る。
あの二番目の男と同じことをする。
全く同じか、それ以上に殴る。
殴って殴って殴って殴る。
「ざけんなざけんなざけんな! 私が何でこのトンネルにお前探しにきたかわかるか! お前ともうちょっと生きてたいって思ったからだよ! なのに死にたい死にたい言ってんじゃねえよ!」
いい加減腕が疲れてきた。
だから殴るのをやめる。
「私たち……別にお互い、いなくてもよかったじゃんか……」
言って、気づく。
「私はお前なんかいなくてもよかったし、お前は私じゃなくてもよかったじゃんか……」
「私はお前に助けられたことなんてなかったし、お前は私の助けなんていらなかったじゃんか……」
そうだろ? 美幸。
お互い、お互いなんていらなかった。
美しい幸せに恵まれなくたってよかった。
他の何でも良かった。
なのに、寂しかったんだよな。
そこだけは、同じだった。
「……」
体の下で、美幸の声が聞こえる。
「……き、ちゃん」
「なに」
「帰りたく、ない」
「私も」
「帰りたく……ないよ……」
「私もだよ、美幸」
でも、もう帰ろう。
何にも幸せなことなんてない日常に、帰ろう。
美幸の左手を取る。
無理やりに起こす。
美幸の体は全然化け物だったけど、関係なかった。
こんな美幸を連れ帰ってどうするのかとちょっと思ったけど、関係なかった。
帰る。
気づけば、子供の笑い声は止んでいた。
だけど……変わりがあった。代わりが。
あーあ。
残念がるような、だけど、悪意に満ちた声。
あーあ、あーーーーーあ。
さっきまで傍観者だった何かが、こっちに来る。
あーあーあーあーあ。
歌うように、ふざけるように、トンネルの中を跳ね回る声。
「美幸、帰ろう」
水たまりを踏んだ。
と思ったけど、それは違かった。
「帰って……なんか食べよう」
水は流れる。私が歩いてきたほうから流れてくる。
「くる途中さ、中華屋の前通ったんだ。なんちゃらかんちゃらビッグ餃子ってのがあってさ、あれ食おう」
水の量は増し、足がとられそうになる。
「だから……」
子供の声は大きくなる。水の流れは川となる。
「だから……」
後ろから――“来る”。
「だから……走れ!!!!」
“それ”が“来る”。
私たちを飲み込むために現れる。
振り向いてないのにそいつがわかる。
私たちは走り出す。バシャバシャ水を蹴り上げて、ズルズル美幸を引きずって、とにかく走る。
あーーーーーーーーーーーーーあ。
赤ん坊。
それも、おおきなおおきな赤ん坊だった。
おおきなおおきな赤ん坊の、おおきなおおきな顔は、美幸のようにおおきなおおきな一つの穴だった。
このトンネルが、おおきなおおきな赤ん坊なんだ。
「……き、ちゃん! ゆ……ちゃ……!」
私に引きずられる美幸が叫ぶ。
「叫んでる暇あったら走れ!」
お前も足を動かしやがれ!
「怖い……怖いの……!」
「怖くない! 走れ!」
「やだ……やだぁ……怖いぃ……」
「今のお前の方が怖い!」
だけど、怖いのは私もだった。
ここは化け物の体の中なのだ。
さっき背中が当たった壁がずるりと滑ったのは、あれは肉だったからだ。粘液だったからだ。そして今もそうなのだ。
怖い。
怖い怖い。
怖くて怖いが怖いの怖いは怖いで怖い。
「ああっ、あぁあーっ!」
誰かの名前を叫びたいほど怖い!
でも誰の名前も思いつかない。
誰も思いつかない。
誰も。
あーあーあーあーあーあーあーあー。
赤ん坊は大口を開けて追ってくる。
あーあーあーあーあーあーあーあーあーあーあーあーあーあーあーあー。
闇が笑う。私たちをもて遊ぶ。
振り返ったらそれが見えるだろう。
走る。
「ユキちゃん、ユキちゃん……」
怖い。悪意が怖い。
あの赤ん坊は私たちを食べたところで、すぐには殺さない。それがわかる。
生え揃ってもいない歯で、私たちをゆっくりと咀嚼する。すぐには殺さず、私たちから溢れる恐怖をゆっくり飲み込む。味がする限り、それは私たちを甚振るだろう。
夢の中のように全然進まない。
進んでいるけど、あの赤ん坊との距離は開かない。出口も見えない。進んでいる気がしない。
無限。
無限が怖い。
「ユキちゃん……おいてかないで」
「だから、さあ!」
美幸の手をグッと握る。
その時一瞬、後ろを見てしまった。
「お前が私に合わせろって!」
もう離さない。
いつかは離すけど、今じゃない。
「お前も走れ!」
後ろにいるそれは、頭の中で思い描いていたものとは少し違った。
笑っていた。
おおきなおおきな顔の、おおきなおおきな闇を、ぐんにゃりと歪めて、私たちを嗤っていた。
「走れーーーーーーー!!!!」
引きずるんじゃなくて、一緒に走る。
闇は、私たちを飲み込んだ。
※
怖い。
怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い。
闇の中で私はまだ走っていた。
逃げていた。
怖いものから逃げていた。
美幸の手の感覚はない。でも、握るべく握ろうとする意識だけは思い描いていた。
「あんたさえいなきゃ、楽だったのに」
声がする。クソババアだ。
親父に捨てられたクソババアの声だ。
「あんたさえいなきゃ、私だって好きに生きれたのに」
ざまみろ。ざまあみろ。
声に向かって叫ぶ。でも、声に出ない。
代わりに出たのは……ごめんなさい。
「なんで家にいるの? なんでまだ家にいるの? ねえなんで?」
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
生まれてきてごめんなさい。
ちゃんと死ねなくてごめんなさい。
死ぬのが怖くてごめんなさい。
怖い。
母が怖い。
だから私は家に近寄らない。
走るのをやめてしまおう。美幸の手を離してしまおう。うずくまって、耳を塞いでしまおう。
そうしよう。
足から力を抜いたところで、私は思い出す。美幸を見つけた時のことを。
あれが……あれがそうなんだ。
美幸も、“怖いもの”を見せつけられていたんだ。
だからうずくまっていたんだ。
同じことをされているんだ。
トンネルが……これを見せてるんだ。
……うぜっ。
そう思ったら、むかついた。腹が立った。怒り。
怒り怒り怒り怒り。
声が聞こえなくなるほど私は怒る。
私の弱みをほじくって見せつける全てに私は怒る。
こんなものを怖がる私に怒る!
怖がったりしてやらない。怖がらない! このクソトンネルの思い通りにならない!
美幸の手を握る! 握るイメージ!
握って走る! 走るイメージ!
イメージイメージイメージ! イメージが世界を作る! このクソトンネルが私を私の恐怖のイメージで攻め立てたってことは、私は私のイメージで同じことができる!
思い描け! 私は私を私で私に私が思い描け!
全部をひっくり返すイメージを!
「あああああああああああ! 餃子ァアアアアアア!!!!」
だからって、餃子ときましたか。
※
「餃子餃子餃子餃子餃子、餃子ァアアアアアア!!!!」
気がつけば、私は走っていた。川の流れるトンネルを、飲み込まれる前と同じトンネルを、でも恐怖が作り出すこのトンネルを!
だけど変わったことがある。
足音が一つ増えている!
「ユキちゃん! ユキちゃん!」
美幸が走っている!
引きずられていた美幸が、私と一緒に走っていた!
「美幸!」
「ユキちゃん!」
「美幸!」
「ユキちゃん!」
声は私の隣から聞こえる!
私はイメージをする! 美幸の顔を!
化け物なんかじゃない、美幸の顔を!
「美幸、美幸! 餃子、みゆ、餃子……一緒に!」
「うん! 食べようユキちゃん! 帰って食べよう!」
イメージの中の美幸は言う。そしてその通りに隣から声がする!
あーーーーーーーーーーーーーーー。
黙ってろガキ!!!!!!!!!!!!
「怖がるな美幸! 楽しいことだけ考えろ!」
「餃子食べたい! ユキちゃんと餃子食べたい!」
「でかいやつ食おう! さっき教えたでかいやつ!」
「食べる!」
私は走る! 私たちは走る!
「ユキちゃん! あれ!」
目の前に白い光が現れる。出口か!?
白く瞬くそれは、ガチンガチンと妙な音に変わる。
――歯だ。
トンネルの中に現れた歯が、ガチガチと私たちを噛み砕こうとしているのだ。
怖――くない!
「いいから走れーーーーーーーっ!!!!」
私たちはむしろ突っ込んでいく! 「いち! に! いち! に!」並走して足並みを揃える! 「いち! に! いち! に!」眼前に迫る歯! 背中に迫る赤ん坊! 「いち! に! いち! に!」歯! 赤ん坊! 歯! 赤ん坊!
「さぁーーーーーーーん!!!!」
歯が開いた刹那を見極めて飛び込む! サクセス!!!!
私と美幸は走り続ける!
「美幸! 怖がるな! このトンネルは恐怖のイメージでできてるんだ! 私たちが怖がると、このクソトンネルはつけあがる!」
「怖くない! 怖くないよユキちゃん! 一緒だから怖くない!」
ずっと一緒にはいられない。
ちょっとしか一緒にはいたくない。
だけどそのちょっとは今この時だ!
「ユキちゃん! わたしちょっと思ったんだけど!」
「なに!」
「このトンネル、“食べられる”のが怖いって思ってるんじゃない!?」
美幸の指摘は確かにそうだ。
後ろから口を開けて迫るあの赤ん坊も、この体内のようなトンネルも、前から現れた歯も、全部“食べる”イメージなんだ。
つまり、私たちそれぞれが持つ“怖いイメージ”と、トンネルそのものが持つ“怖いイメージ”の二つがここにあるんだ。
正解正解正解正解正解正解正解正解正解!
全部わかった全部把握した全部もう怖くない! 死ね!
「いいかクソトンネル! もうなにも怖がったりしてやらないからな!」
さて、ここで問題です。
“私たち”と“トンネル自体”の恐怖が通用しないとわかったら、次は何を出してくるでしょう?
「ユキちゃん……何あれ」
「人?」
目の前に現れたのは、人だった。
男だった。
私たちの知らない男。
※
「ごめんなさい、ごめんなさいぃ……!」
私は逃げる。
薄着でこなきゃ良かった。草むらを突っ切ると枝や葉が私の肌を切った。
「どこへ行くんだ?」
でも、そんなの全部関係ないくらいの怖いものが私を追いかけていた。
「君だろ? 俺に会いたいって言ったのは君だろ? なのに何で逃げるんだ?」
「わ、私が悪かったからぁ! 騙してごめんなさい、騙してごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
男は包丁を隠そうともしない。顔が見えないくらい影に染まっているのに、ギラギラと光る目だけが見える。
そして男は包丁を振り上げた。私に突き立てるために。
「いやあっ!」
すんでで身を捩る。掠めた包丁は私の肩をざっくりと切り裂いた。
「いや、いやあっ、いやーっ!」
何とか走る。
目の前に現れたトンネルへ、私は走る。
怖い。
怖くて怖くてたまらない。
※
「何だあいつ!!!!」
「ユキちゃん知らないの!?」
「じゃあお前知ってんのかよ!」
「知らない!!!!」
男はゆらゆらと体をふらつかせる。その手には包丁のような刃物が握られていた。
なんでぇ? 何で逃げるんだぁ?
男はそんなことをぶつぶつ言って、私たちに包丁を――。
「邪魔!!!!」
顔を殴ったら倒れた。
……。
え、なんですか? 今のは。
「ユキちゃん! 多分これ、前の人のだ! このトンネルが食べた前の人の怖いイメージだ!」
美幸は頭がいい。おそらくそれも正解だ!
じゃあ次の恐怖は誰のだ?
うさぎの着ぐるみがいた。
しかもいっぱい。
※
「やっほー! 良い子のみんな、今日はドリームドラゴンランドにようこそ!」
僕はその遊園地が嫌いだった。
山奥のそこはほとんど寂れていて、人の気配がほとんどない。
それなのに明るく振る舞うそのうさぎのマスコットが、不気味で仕方なかった。
※
「ユキちゃん! どうしようこれ!」
トンネルを埋め尽くすうさぎの群れ!
殴り倒すのも間を抜けるのもイメージできない!
これを突破するイメージが湧かない!
「あああああああああああ! 走れーーーーーーー!!!!」
だから走る! 走るイメージを強くする!
うさぎは全員成人男性くらいの大きさ! つまり“上”が空いている! 見つけた見つけた見つけた! トンネルのイメージの“隙”を見つけた!!!!
私たちは走る。とにかく走る!
だから壁だって走る! 天井も走る! 走れるなら走れるんだから走る!
ウサギの群れの真上を走ってトンネルを一回転して抜ける!
その気になれば舞空術とか使えるのかしら。
※
「僕、家が怖い」
「家に居場所がないとかじゃなくて、家族が怖いんじゃなくて、家なんだ。家そのもの」
「楽しい一日でも、辛い一日でも、最後には絶対に帰らなくちゃいけない、そんな規則が形になってる……みたいな気がして」
「変かな? 変だよね……でも、あの日も、このトンネルに来た時……帰りたくないなって思ってたのは、ほんと」
※
もうだいぶ走ってきた。それこそ美幸を見つけるまで歩いた距離以上に。だけどきっと距離なんてこの場では関係ないのだろう。
ザバザバと赤い川を走るそんな私たちはその先に何やら巨大なものを見た。
「何あれ……」
荒くなる息の合間に、私は尋ねる。だれに? さあ。
だけどなんだかとにかく巨大だ。明かりのないトンネルなのに、ずんっと何やら圧倒的な質量を持った何かが現れたのは確かにわかる。
バキンガキンボキンゴゴゴ……とトンネルの高さと幅を丸切り無視してその身をガリガリ削りながらこちらへと滑るようにやってくる巨大なそれは、それは……。
「家だ!」
「は? なんで!?」
美幸もこれまでのメソメソした声を演出することも忘れて私と一緒に叫ぶ。
一軒家が丸ごとこっちに流れてきている!
マジでなんで?
「やばいやばいやばいやばいって! 逃げよ逃げよ逃げよって!」
「家が怖いって思ってた奴がいたってこと!? こういうことじゃなくない!?」
「ユキちゃん! 逃げよって!」
美幸は私の手を逆に引く。
私も思わず踵を返してしまいそうだった。
「美幸! 走れ……」
「え?」
「とにかく走れ!!!!」
私たちは家に突っ込む!
迫る家! 木造二階建て!
玄関扉はガラス戸! 開ける! お邪魔します! 目の前の廊下を走る! 土足で! 階段を登る! 急な階段を登る! なんで古い家って階段すごい急なんだろうね! 走る! 階段の先はトイレ! 走る走る! トイレの窓を開ける! 走る走る走る! 飛び降りる!!!!
無事!!!!
「奇跡!」
「ユキちゃーーーーーーーん!!!!」
2個目来た! 同じ家2個目! 2戸め!!!!
何度だって玄関潜って階段登ってトイレの窓から飛び降りる! イメージイメージイメージイメージ!!!!
すると突然こちらに流れてこようとする家が木っ端微塵に吹き飛んだ!
えっ、私のイメージ強すぎ?
※
〜以下、日本語訳〜
「ヘイガイズ! 軍人YouTuberのドックスキングだ!」(歓声SE)
「今日も俺のホラーチャンネル見に来てくれてサンクスな! 俺は今、なんとジャパンに来ているんだぜ! 目の前のトンネルはこれまで何人ものジャップを飲み込んできた、モストデンジャラストンネルらしい! 入り口からすでにゴーストたちの呻き声が聞こえるぜ〜!」(Woo的なSE)
「なあドックスキング……本当にここに入るのかい? 俺、何だか怖いよ……あんたは怖く無いのか?」
「おいおい、カメラマンなんだからしゃべるなよギグ! それに俺に怖いものなんてあるわけないだろ?」
「さ、流石だねドックスキング……」
「しかしまあ、そうだな、唯一あるとすれば……」
※
「ミサイルだ!!!!!!!!!!!!!!!!」
爆裂した家から現れたのは、長さにして多分二メートル、太さにして多分一メートル。ごうごうと後煙(今作った熟語)を噴き上げ圧倒的な質量を主張しながら私たちに飛んでくるそれ。
目の前から飛んできた物体の輪郭をようやく捉えるとそれは見まごうことなきロケットミサイルだった。
見まごうことなきっていうか、初めて実物を見た。
いや、いいや。実物なんかではないのだ。これはこのトンネルが私たちをビビらせようと用意した偽物なんだ。だから私たちは止まらない。むしろこちらから体当たりを喰らわすつもりで走る走る走る走る!
「美幸ーーーー!!!!」
「ユキちゃーーーーん!!!!」
ミサイル! 私たち! ミサイル! 私たち! ミサイル! 私たち!!!!
目の前に迫るミサイル! しかしそれをほんの一瞬の最中で身をかがめ、髪がミサイルの側面を撫でる。すれ違うと背中が燃えるように熱く、でも身を焦がすことはなかった。避けた!!!!
「マジやばい私たちミサイル避けた!」
ドッ。
直後、トンネルの後方が鈍く光る。どこかの壁に着弾したのだ。トンネル全体の空気がヌルくなったかと思うと、後ろから空気が膨れあがり、走る私たちを包み込んで持ち上げて放り投げる! 爆風だ!!!!
「わぁあああああああああ!!!!」
「ギャアアアアアアアアア!!!!」
ほんの少し上下がわからなくなる。でも体が叩きつけられた壁を地面としてすぐ立つすぐ走る。
重要なのは正しく走ることじゃない。とにかく走ることなんだから。
私と美幸の手はまだ繋がれている。
私たちは走る。
「ユキちゃん! 壁が変!」
走る走る走る走る中で側面の壁を見る。
肉のような内臓のような蠢く気持ちの悪い嫌悪感を誘発するようなデザインだったその壁は、チラホラ元のコンクリートが見え始める。
わかった!!!!!!!!
私は一瞬で“““答え”””にたどり着く。
このトンネルの《恐怖のイメージ》が尽きてきたのだ。
私たちの中に恐怖はもうない。
自前の恐怖も効かず、過去に取り込んだやつらの恐怖すら効かない。
だから私たちを閉じ込めておく恐怖のイメージが追いついていない。
つまりこれは、ゲームでキャラクターが速すぎてマップ生成が追いつかないようなものなのだ。
無限は怖い。
だからこのトンネルは無限を扱える。
私たち人間に“終わりがないことへの恐怖”がある限り、そこに閉じ込めることができる。
「ギョーザ! ギョーザ! 水ギョーザ!」
「ギョーザ! ギョーザ! 焼ギョーザ!」
でも私たちはもう何も怖くない。
無限なんてどうでもいい。
現に……終わりが見えている!
詐欺やマジックを見せる側としては大ポカ、無限が偽物だとバラしてしまった。トンネルの壁を見せてしまった!
タネを私たちに割ってしまったこいつに怖いことなんて何一つない!
私は一瞬でそれを見る。あのロックなグラフィティを。
FUCK!
「ギョーザ! ギョーザ! すい、す、あはっ、あははははは!」
「ユキちゃん! ユキちゃん! 言えてないって、ふ、あは! あははは!」
「FUCKって書いてある、なんで、なんか、なんでか書いてあっ、あっ、あはははははははは!」
「ファック! ファック! 書いてあるね! 変すぎ! 全然雰囲気合わない! あははは!」
私たちは笑う。
懐かしかった。いつか、私たちは同じことをしていた気がする。
「帰ろう! 美幸!」
※
「ねぇ……ユキちゃん、どうして先に行くのぉ?」
赤いランドセルを揺らして美幸は焦れた声を出す。
「あんたがおそいだけでしょ」
「ねぇー、待ってよぉー」
美幸はほとんど泣きそうだ。
「なんでそんなおそいの」
ほとんどイライラしながら、私は逆に聞く。質問というよりは、嫌味だった。
美幸は何度も「だって……」をモゴモゴ言ったかと思うと、「家に帰りたくない」と遂には言った。
「……わたしだって家、帰りたくないよ」
「ならなんで帰るの? なんで、帰んなきゃいけないの?」
「帰んなきゃいけないからだよ!」
怒鳴ると、美幸はびくんと体を跳ね上げて、とうとう立ち止まって、泣き出した。
「家、帰りたくないぃ……」
そんなの私だってそうだ。
そんなのは、私だって……。
帰ったっていいことなんかない。
嬉しいことなんてない。
悲しいことしかない。
それなのに何で帰らなくちゃいけないんだろう。
そんなの私だって知りたかった。
泣いて足を止めれたらどんなに良かっただろう。
でも、そんなことをしても意味はないんだ。
立ち止まって、たった一人で、夜になったら、本当の怖いものが現れる。
それに飲み込まれたら、きっと取り返しのつかないところまで落ちていってしまう。
どんなに最悪でも、帰らなくちゃいけないんだ。
本当に怖い夜をやり過ごすために、少しだけマシな家に。
幼い私にそんなことを考える力はなかったけど、きっとその予感くらいは感じていた。
「美幸、いいこと考えながら、帰ろ」
涙でべしょべしょの手を取って、引く。
「いいことなんて無いよぉお」
「じゃ、美味しいもの」
「……オムライス」
「唐揚げ」
「おひたし」
「揚げパン」
「ミネストローネスープ」
「わかめごはん」
「七夕ゼリー」
「餃子」
「餃子好きなの?」
「うん」
「私も」
「ふふ……うん」
「餃子」
「餃子」
「水ギョーザ」
「餃子っ」
「餃子っ」
「焼ギョーザ!」
「ふふ……あはは!」
「あはは! ギョーザっ! ギョーザっ!」
「水ギョーザ! ギョーザ! ギョーザ!」
「焼ギョーザ!」
※
私たちは帰る。
※
ずっと、ずっと走り続けていた私たちは、立ち止まる。
爆発するような心臓の音が引くと、嵐のような呼吸の音が収まると、あとはとにかく虫の声がうるさかった。
夜風が汗でびしょびしょの私たちの肌を撫でる。
私のバイクが不思議そうに私たちを見ていた。
外だ。トンネルの外だった。
そこに恐怖や悪意はなく、世界は脚色なくただそこにあった。
帰ろう。
私は最後に手を引く。
でも、美幸は動かなかった。
「美幸?」
振り返ると、美幸もまた肩で息をしていた。だからかな、と思ったけど、違かった。
美幸はまだトンネルにいた。
あと一歩で外なのに、美幸はその一歩を踏み出していない。
「なんで」
「ごめんね、ユキちゃん」
なんで謝るんだよ。
「言えなくて……ごめんね」
顔を上げる。
美幸は久しぶりに、泣いてなかった。
謝ってるくせに、楽しそうに笑っていた。
クソトンネルの悪意かと思った。そうであって欲しかった。
「私、もう死んじゃってるの。帰れないよ」
「いいよ、美幸。一緒に帰ろう」
「人生で一番、楽しかったよ」
「一緒に帰ろうよ……」
そんなこというなよ。こんな夜なんて早く忘れに行こうよ。
「ありがとう。ユキちゃん。ありがとう……」
私は、私は……私は耐えられなくなって、美幸の手を強く引いた。
だけど、それがスイッチだったみたいに、テレビを消すみたいに、目の前から美幸は消えた。
よくあるクソドラマみたいに、光に包まれて消えたりなんてしなかった。
パッ、という音すらなく、美幸は消えた。
でも、私は美幸の手をまだ掴んでいた。
ブヨブヨに腐って虫の湧いた、美幸の左手だけを掴んでいた。
※
「っしゃーせぇー」
……でね私は思うんですがこのお便り主さんは本当は悩んで無いんじゃ無いかってうんうんそうなんですよえぇえぇこのお便りのね最後にね……
「空いてるお席へどうぞぉー」
……だからねお便り主さんにはねもっと自分の気持ちに正直に生きてほしいなってそうすればいいなってやっぱり人間誰しも自分の人生の主役なんですからえぇえぇ……
「ご注文はお決まりですかぁー」
「あ、えっと」
ラジオだけが流れる、薄暗くて陰気な中華屋だった。
席に通され、しばらくの間ぼーっとしてた。
一人だった。美幸はいなかった。
左手は袋に入れて、さらに紙袋に入れた。外から見えないように。
そんなだから、待ちかねた店員が来たのだろう。
我に返り、慌ててベタベタラミネのメニュー表を取った。
「じゃ、この……この」
リングで繋がれたメニューをめくると、それはあった。
美幸と食おうと思っていたそれが。
「この……ウルトラマックスGIGAジャンボ餃子、を……」
改めて見るとひでー名前だ。
「ジャンボ餃子ですねぇー」
あ、略すんだ。
「以上でよろしいすかぁー」
店員が下がると、寒々しくラジオがずっと喋るだけだった。
美幸はいない。
美幸は本当にいなくなってしまった。
もう、どこを探してもいないだろう。
世界から幸せが一つ消えた。
美幸、私はお前が嫌いだったよ。
だけど、嫌いだったけど、嫌いじゃなかった。
私は一人で生きて行けたし、何もしあえなかったし、一緒に生きることも死ぬこともできなかったけど、嫌いじゃなかったよ。
「ったせぇーしやしたー」
目の前にウルトラマックスGIGAジャンボ餃子が置かれる。
写真ほど大きくない。
ベタベタラミネメニューを見返すと、今座ってるテーブルを埋め尽くすほど大きく写ってるのに、目の前のそれは、なんか、せいぜい餃子十個分だ。
デカいっちゃデカいけど、なんだろう、しょぼい。
あれだけ必死で帰ってきたのに、世界はイメージ通りに行きはしない。あのトンネルだけだ。
「ごゆっくりどうぞー」
店員が、醤油皿を私の前に置いて、帰る。
「……」
端っこを箸で切って、食べてみる。
まずい。
普通にまずい。
皮が厚いから無駄に歯応えがあって、中の餡に火が通ってない。
何でか知らないけど、イカみたいなのが入ってる。ぐにぐにとしたアクセントが足を引っ張りまくっている。生臭さがエグい。
めっちゃまずい。
めっっっちゃまずい。
美味しくない。
美幸、こっちは全然楽しいことないよ。
でも、私は食べる。
イメージ通りではない餃子を、一人で食べる。
お前まだあのトンネルにいるのか?
私は食べ続ける。一人で食べ続ける。全然美味しくないのに食べていく。美幸と一緒に食べるはずの餃子を一人で食べる。
寂しいよ。
気づけば私は泣いていた。
あのトンネルであんなに怖い思いをしても泣かなかったのに、私は泣いていた。
ずっと孤独でも我慢できたのに、その時だけ泣いていた。
何でだろう。
美幸がいないからだ。
私は、美幸の前では泣かないって決めてたからだ。
でも美幸はいない。
餃子を食べる。食べていく。
半分食べたところで、何かが見えた。
ジャンボ餃子の陰に隠れていて見えなかったけど、なぜか醤油皿がもう一枚、私の対面に置かれていた。
「……あの」
スマホをいじる店員に声をかける。
「これ……」
醤油皿を箸で示すと、店員は驚いた顔で、「あれ? もう一人……」と呟いた。
「失礼しました」と皿を下げようとする店員を止める。「あ、いや、そのままで……」
涙を拭く。
美幸の前では泣かないって決めたんだから、それを守る。
残り半分のジャンボ餃子に箸を突き立て、対面に押しやった。
私はもういらないし、何よりこれはあいつの分だ。
なあ、美幸。
「それ食ったら帰ろう」
終
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