書くことが苦手な私が目指すところ
書くことがスキ!という人と、苦手な人とでは何が違うのでしょう?
私はどうも漢語を使う癖があるようで、noteでは意識的に「しゃべってる感」をもって書いているのですが、書くことに集中しだすと、もう、軍人みたいな(自分は!敬礼!みたいな)文章になってしまいます。
実は、人生の半分を国語科の教員として過ごしているのですが、書くことの苦手意識(堅苦しい文!)ゆえに、学級のお便りも書かないくらいです。誤解されるのも怖いし、誤解を生む文章を書いて印刷して配るくらいなら、保護者の方とお会いして、胸襟を開いて話したいタイプです。
勤め先は、田舎のフツーの公立中学校ですけれど、そろそろ働き方改革として、こうしたSNSを使った連絡なども解禁してもらえると幾分か楽になる部分もあるのですが(事務連絡だけならSNS有効!)…いろんな先生がいますからね、実際、SNS解禁はかなりハードルが高めです。(で、現場はいつまでも原始時代が続く…ギガ・スクール構想とやらでタブレット配られても使えない教師の方が多いのでは…?まさに戯画・スクール…。)
でも、実は、こんな私や教師たちよりも、文章を書いて書いて書いて、書きまくって公開すべき人たちがいるんですよ!
子どもたちです。
国語の授業をworkshopにしてからというもの、子どもたちの成長には目を見張る思いです。すごい。私にはとても書けないような文章がどんどん出てくるのです。普通の教室の教科書を使った授業で寝ている生徒が、workshopでは、作品を作ることを楽しんでいるのです。定期テストで10点、20点の生徒が、思考しながら自分の表現を探しているのです。
私のworkshop授業では、知識とスキルの部分は指導しますが、アウトプットは待ちの姿勢です。ちょこちょこ刺激しながら。
【現在、リーディング・ワークショップを行っています。本を読みまくった後に、レターエッセイを書くというものですが、詳しくは『イン・ザ・ミドル ナンシーアトウェルの教室』をお読みください。】
一応、生徒の参考に見本を用意と思って、私がレターエッセイを書いてみたのですが、とてもとても、生徒の足元にも及ばないのです。私、やっぱり下手なんだ~と落ち込むばかり(笑)。下手です。下手すぎて、生徒同士のフィードバックの方が絶対に有効だと確信します。実際生徒も、私の見本よりも、先行して書いた生徒の作品を参考にしてます。
何が違うんだろう?なぜ子どもたちの文章は面白いんだろう?
リーディング・ワークショップは、誰もが一流の文章をアウトプットできるようになるような魔法の杖ではありません。読んだことを自分に関連付けたり、自分の価値観を確認したり、叙述から推測したり、映像化したりしながら、自分なりの意味や新たな価値を生み出していく。それを繰り返すことで読むことや書くことについての実力をつけていく授業です。
そもそものスタート地点や興味のあることが個々に違うわけで、それを前提に授業を進めます。今の自分よりも次の自分が一歩前に進んでいればよいということです。確実に一人一人が自分のペースで力をつけていきます。
教科書や指導案に生徒を合わせるのではなく、生徒に合う本で読むこと、書くことを教えることがリーディング・ワークショップの素敵なところです。教科書だけでは世界が狭すぎるのです。
ステレオタイプの感想を書いていた生徒が、興味の焦点を絞って、自分なりの意味を書いてきたり、不登校を経験した生徒が不登校に関連した本を読んで自分をメタ認知できるようになったり…レターエッセイからは生徒の成長が感じられます。私のように「見本」「お手本」なんていう、押しつけがましい文章ではないのです。
生徒が 教師が クラスが「成長する教室」づくり
私の文章がつまらないのは、本当に自分が書きたいことを書いていないからかもしれません。「見本」「お手本」として調整しているというか、形式だけを追っかけているというか…。
生徒のレターエッセイを読んで、彼らにフィードバックをするのですが、これまた、言いたいことがまとまらず、生徒に迷惑をかけてしまっています(汗!)書く力が欲しい!
目の前の自分が選んだ本に没頭し、思考したことについて自由に焦点化して書いていく。リーディング・ワークショップで、生徒たちから学びながら、私もnoteで書く力をつけていきたいと思います。
授業/学究経営のコンセプトは「成長する教室」づくり!です!