『弦楽セレナーデ』を聴くたびに思い出す絶望のこと
「チャイコフスキー」の「弦楽セレナーデ」をご存知だろうか。
ある世代以上の方ならば、この曲が無意識のうちに脳裏に焼きついていて、あるイメージがすぐさま蘇ってくるのではないかと思う。人材派遣サービスのCMで流れていた曲である。『オー人事オー人事』で一世を風靡した、あれだ。
小澤征爾さん指揮の「弦楽セレナーデ」を見た
わたしは、先日世界的指揮者の小澤征爾さんが亡くなったというニュースを見たときに真っ先に「弦楽セレナーデ」が浮かんだ。そこでさっそくYouTubeで小澤征爾さんが指揮する「弦楽セレナーデ」を見たのだが、一瞬にして心を奪われた。
どこから生まれてくるのだろう、この力強さと繊細さは。どこから湧き上がってくるのだろう、「生きている」ということを全身で表現する並外れた気迫は。
わたしの心と身体は震えた。涙が止まらなかった。それから1週間ほど50回以上はリピートして聴いたと思う。
移動中、ごはんを食べているとき、お風呂に入っているとき、眠る前。とにかく耳が空いているときはすべての時間をこの動画に費やした。
イノシシモードに突入
そんなことを繰り返していたら、生で観に行きたくなってしまうってのが人間。夜な夜なネットで検索した。それが2月上旬だったのだが、幸運なことに3月に都内で「弦楽セレナーデ」を聴けるではないか!!!
すぐさまチケットを確保した。こういうときのわたしは、誰にも止められないくらい勢いがすごいのだ。それをわたしは「イノシシモード」と言っているのだが、イノシシモードに突入したわたしに怖いものなんてない。
当日もイノシシモード全開のまま、ワクワクドキドキ胸を躍らせながら仕事に臨んだ。おかげで、無事計画どおりに仕事を終わらせることができた。そして、ついにそのときがやってきた。
おっしゃあああ~~!!!!!!!!!!!!
ということで、2024年3月6日水曜日。オーケストラの大迫力を浴びに行ってきた。大迫力に圧倒され終わった直後、放心状態のまま、気がついたら泣いていた。
「弦楽セレナーデ」恐るべし。
帰り道も「弦楽セレナーデ」に浸り続けたくて、スマホで聴きながら帰ったくらいだ。気持ちの高ぶりを抑えられなかった。
「必ずや人間は浮上できる」
何がわたしの心をここまで掴んで離さないのだろう。語り出すと長くなってしまうから一言で言うと、
人生にどんなに絶望したとしても、必ず・・・必ずや人間は浮上できる。そんな力が誰にでも生まれつき備わっている。だから、今はそんな力が自分にあると信じられなくても、生き続けていいのだよ。
浮上してきたとき、自分を取り巻く世界はいつだってわたしの存在を肯定してくれるから。受け入れてくれるから。時が来たら新しい世界ちゃんと作っていけるよ。
と言ってくれているような気がするのだ。チャイコフスキーさんが実際のところ何を思って、この超大作を作り上げたのかは知らんけど。
クラシックを聴くといつも蘇ってくる思い出
「弦楽セレナーデ」とその日はもう一曲、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲 第2番」も聴くことができた。奏でられる音そのものになりたいわ〜、音になって会場を飛び回りたいわ~なんて思っちゃうくらいとてもとても幸せな時間だったのだけど、わたしにはクラシックを聴くといつも蘇ってくる思い出がある。
いつだかのnoteにも少しだけ書いたのだが、わたしは幼稚園の頃からピアノを習っていて、物心ついたときから将来は「音楽大学行ってピアノの先生になる!」という夢を持っていた。そして、それをよく口にしていた。
そのときは「できない」ことがあるなんてこと知らなかったから、堂々といろんなところで言っていたし、夜寝る前にピアノの先生になっている自分を妄想してワクワクしながら眠りに就いていたものだ。
でも、長年抱いていた夢はあっけなく壊れた。「ピアノ上手だねってよく褒められてたけど、別に音大に行くほどの才能はない。行ったとしても埋もれて落ちこぼれになるだけ。
それに音大行くってなったらめちゃくちゃお金かかるけど、うちには出せるお金なんてない。だから諦めなさい。ピアノの先生もそう言っていたよ。」という言葉で。
現実を突きつけられて、わたしは泣いた。若干15歳にして、願っても叶わぬ夢があるのだと知り、生まれて初めて人生に絶望した瞬間だった。何も大げさな表現ではない。わたしは
絶望したのだ。
おふとんに潜って泣きながら何も考えないために寝るしかできなかった。そのあと、どうやって復活したのかはもう覚えていないが、そこまでは今でも鮮明に覚えている。それくらい、かなえ(15歳)はショックだったのだ。
「ほかの選択肢もあるよって示してくれよ」
今のかなえ(38歳)から一言言わせてもらうと
ってな感じ。
ふぅ〜、ここで吐き出してちょっとスッキリ。
完全に諦め切れていないしぶといわたしがいる
子供のわたしは家族がいなきゃ生きていけなかったから家族の応援がないものは諦める選択肢しかなかったけど、大人になったわたしはもうひとりで歩いている。しっかり生きている。だから、子供のわたしの代わりに言ってやりたくなったのだ。突然乱れた姿をお見せすることになっても。吐き出すって大事。
ありがとう、弦楽セレナーデ。ありがとう、ラフマニノフ。吐き出す機会をくれて。
ありがとう、大人のわたし。代わりに言ってくれて。
でも、まだそのときの突然閉ざされた感じがした絶望は100%昇華できていない。だって、何かやりたいなって思うことが出てきても、どうせわたしは・・・って強い意志を持ってそこに向かい続ける自信を持てず、自分の背中を押すことができなくて孤独感の中、弱気になっちゃうときがあるから。
それでも心のどこかに、きっと大丈夫、わたしなら大丈夫。と自分のことを完全に諦め切れていないしぶといわたしがいることもたしか。
子供のわたしの気持ちを早く、大人のわたしが癒してあげたい。大人のわたししかそれができないと思っている。今はそんな思いだ。
そろそろ本腰入れて向き合いたいという気持ち
そして唐突ではあるが、そんな思いを持っているわたし、実はライフコーチとしてコーチングを提供している。
もし、何か大きな諦めをして絶望している自分、突き動かされるものがあるのになぜだか動けない自分など、「自分」に翻弄されてしまっていてそろそろ本腰入れて向き合いたいという気持ちがずっと心の中にあるんだよねっていう方がいたら、もしかしたらお力になれるかもしれない。
というか、何か力になりたい。わたしも絶賛向き合い中だけどね。あなたの肩にひょっこり乗って、同じ方向を見ながら、ときおり声をかけながら一緒に一歩ずつ。
お問い合わせの際は
「オーかなえ オーかなえ」
それが合言葉。
ここで先日、いつもわたしを優しく見守り伴走してくれているマイコーチからもらった言葉を置いておく。わたしはこの言葉をお守りのように握りしめて日々を過ごしている。この言葉に何か感じるものがあった方は、一緒に握りしめながら、一緒に歩いていけたらいいなと思っている。
最近、自分と向き合えてなくてモヤモヤしてたけど、この日、チャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」を聴きに行って本当によかった。仕事をイノシシモードで片付けて行った甲斐があった。夢が壊れたあの日から、地面に足をつけて無我夢中で歩いてきたことを思い出すきっかけになった。さらに、「わたしなら大丈夫」と自分をしぶとく諦めないでいたことにも気づけた。それらがすべて、ライフコーチという生き方に繋がっていることにも。
これからも、「弦楽セレナーデ」を聴くたびに・・・・・・