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アドラー心理学は「援助・支援」どちらのスタンスなのか?~読書会リポート~

勇気のアクセラレーター金井津美です。

現在、10名の方々と毎週1回、『幸せになる勇気』の読書会を行っています。大人が集まって、同じ本を読んで「刺さったところ」「わからないところ」を分かち合っています。

この記事の最後に『嫌われる勇気読書会』のお知らせもあるので、ご覧下さるとうれしいです!

援助と支援の違いって??

昨日は、援助と支援についての質問をいただきました。

本の中(P.124)にはこうあります。

  子どもたちの決断を尊重し、その決断を援助するのです。そしていつでも 援助する用意があることを伝え、近すぎない、援助ができる距離で、見守るのです。たとえその決断が失敗に終わったとしても、子供たちは「自分の人生は、自分で選ぶことができる」という事実を学んでくれるでしょう。

質問者は「援助は全部、支援は一部だと理解している。だとしたら、アドラー心理学は援助するというスタンスなのか?」とおっしゃいました。

私は個人的にこのご意見に「ハッ」とさせられました。それで、あらためてこの言葉の違いについて調べてみたんですね。辞書やネットを総合すると、こんな表現にたどりつきました。

援助・・・その人ができないことを代わりにすること
支援・・・その人が自分でできるように必要な部分だけ支えること

こ・こ・これは!岸見センセイ(著者)、すみませ~ん。ここの表現は「援助」ではなく「支援」のほうが良いんじゃないですか?と手紙を出したくなりました。

P.122~123にかけてはこのように書かれているんですよね。

教育する立場にある人間、そして組織の運営を任されたリーダーは、常に「自立」という目標を掲げておかねばならないのです。
自分の人生は、日々の行いは、すべて自分で決定するものなのだと教えること。そして決めるにあたって必要な材料ーたとえば知識や経験ーがあれば、それを提供していくこと。それが教育者のあるべき姿なのです。

アドラー心理学が教育において掲げる目標、それは「自立」です。だから、やはり「支援」というスタンスがふさわしい。全面援助ではなく、部分的な支援をするのが大人の役割、ということですね。私はこれから意識して「支援」という言葉を使っていこうと強く感じました。


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このふたつの境目は何なのか?

でもでも、しかしながら、ですよ。援助は全くしないのか、といったらそれも違いますよね。援助が必要な場合はする。あくまで対象者や状況により、ここは調整することが現実的。片方だけ、ということもないですね。

3歳の子どもには援助多め、15歳の子どもには支援多め、というふうに大人が手を貸す「量・質」ともに境目を変えていくことが大事です。15歳の子どが自分ですべきことを、親がわが子を子ども扱いして手を貸しすぎると、それは単なる甘やかしとなり自立を妨げてしまう。

かくいう私も息子が15歳の時に「お母さん、僕を何歳だと思ってる?」と冷ややかな目で言われたことありますもん・・・(恥)。

こんなことを書いているうちに、ある教育講演会で聴いたフレーズを思い出しました。緒方甫さんという方の言葉と書き留めてあります。

乳児期は肌を離すな。 幼児期は肌を離して、手を離すな。 思春期は手を離して、目を離すな。 青年期は目を離して、心を離すな。

そう、これなんですね、きっと。子どもの成長に合わせて、子どもの自立を妨げないように、コレは援助、コレは支援、と考えながら行っていくことが重要。はい、これがアドラー心理学的なオチです。

いやぁ、ファシリテーターながらとっても大事なことを気づかせていただき、参加者の方々に感謝です!来週も楽しみです。

参考文献:『幸せになる勇気』 岸見一郎・古賀史健  ダイヤモンド社


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