感受性ってなんだっけ?
だってさっむいんですもん。(イラストの話。)つい!この間まで!汗ばみながら、心地よくお散歩してたのに。四季じゃなくて二季だと言っていた人がいるが、本当にそんな気がしてくる。「暑い」の次は、もう「寒い」。そして、、また「暑い」。さすがに、これでは感受性(触覚?)が乏しすぎる?(笑)
感受性という言葉を聞くと思い出す。「自分の感受性を人のせいにするな、ばか!」みたいな詩。私がばっちばちの思春期、反抗期真っ只中なときに、母親に読まされた詩。誰のなんていう詩だったんだろう?と、検索してみた。
めちゃくちゃ有名な詩だった。
自分の感受性ぐらい
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
茨木のり子
詩集「自分の感受性ぐらい」(1977刊)所収
「現代詩文庫」思潮社にも収録
参照:http://www.matatabi.net/Poetry/ibaraki_01.html
何かに掲載されていたんだろうな。私に手渡して「どう思う?」って。私は、それを読み(意外に素直)、すんごいムスーっとして、ぶっきらぼうに言った。
「ばかって言葉を使うなんて、男っぽいと思った。」
内心、色々と感じていたんだけれど、そうとしか言えなかったんだよね。
「なにそれ。」
と母は、さらに、苛立ったような落胆したような感じで、私は私で、さらにくちびるを尖らせて、でも多分、顔は赤くなっていた。そんな記憶。
先日、母は、「あんたは反抗期なかったがねー!」なんて言ってたけど、記憶をなくしてしまったのだろうか。(笑)そういうところ、羨ましい。ここ数年で、やっと素直になってきた娘である。悩みを相談するようになり、母の強さを知る。たくさんある語録の中で、「いいが、いいが。死ぬわけじゃないっちゃから!」は、私の心の手の届くところに、いつもしまっている。
私と母は似ているらしい。背丈、体格、顔、確かに似てる。そして、詩を差し出してくるあたり、性格もそれなりに似ているのかな?
小学生だか、中学だったか、朝読書という時間があって、本を持って行かなきゃいけなかった。母に言ったら、いくつか本を貸してくれた。覚えているのは、田辺聖子さんのエッセイと、星野富弘さんの詩画集。最初は面白いとも思わず、ただただ見ていたけど、今思えば、子供には渋すぎないかい、この作品達は。(笑)んでも、最後まで読みきったんだから、案外はまってたのかな?
何か「買って!」と言い終わる前に「ダメです!」が強烈に飛んでくるのが分かっているから、物を買ってくれなんて口が裂けても言えなかった。ただ一つ、例外があって、それが「本」だった。本だけはいくらでも買ってあげるよ、と。でも母の思惑ほど、文学少女には育たず、あまり本を買ってもらった記憶はない。そんな思惑があったかどうかも知らないけれど。
年末年始、宮崎に帰るんですか?と聞かれれば、帰らないのだが、久しぶりに母と長話したくなった今晩でした。
今日もお読みいただきありがとうございました(*^^*)
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