薪をもらうことと現代社会

田舎暮らしで薪ストーブをするような人は、消費的、資本主義的な暮らしに対してネガティブな感情を持っている場合が多い。
たとえば自給自足的な暮らしや自然な暮らし等を目指して日々を試行錯誤しているような人は、自分の目指す暮らし方の外側に丶丶丶消費経済的・資本主義的な暮らしがあるのだと思いがちかもしれない。 
「ただで薪がもらえるなんて、なんて素敵な暮らしじゃないか」と、悦に入ったりして。
でももし、自分にとって理想的でない暮らしをしてる人達みんなが、自分と同じ「素敵な」暮らしを目指し始めて、たとえば薪ストーブを始めたりしたらどうなるだろう。
あっという間に薪は争奪戦になり、タダでもらうなんてことは当然できなくなっちゃうよ?
そう、その「素敵な」暮らしは、隙間にいるからこそ成り立っている。自身が疎んでいる、その消費経済的・資本主義的な社会があるからこそ生まれる隙間を利用しているわけだ。
その暮らしは全然社会の外側なんかには位置していなかった。内側の、ただみんなからあまり目につかない隙間を、うまいこと利用しているに過ぎなかった。
現代社会のカウンターみたいな気持ちで「自然な」暮らしをしているつもりなんだとしたら、その人はなんて素朴でおめでたいんだろう。
侮っているその相手がいてくれなきゃ、そもそも自身の理想だって成り立ち得ないってことに気付かないなんてね。
まあ、自分のことですが。

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