日本の祈りのよみがえり
占いや開運のことしか発信していないスピリチュアルな人という認識を与えるような
発信だったのだと
ある出来事で気付かされました。
他人からみたら「のほほん」として切羽詰まった感じの無い私ですが
昨年の2月は人生の大きな
ターニングポイントでした。
自分にとって、今までやっていきたいと考えていたことに追い風が入ったその日の夕方には、追い風が竜巻になり嵐となりました。
それでも淡々と日常をこなしているから嵐の中にいるなんて誰にも見せてなかったし、むしろ私の神経を逆なでするような発言ばかり浴びていました。
冬から夏、夏から秋
秋には今まで経験したことのない発熱
その後のデトックス
最後には声まで取り上げられる3週間を過ごしました。
年の瀬を迎え怒涛という 言葉ぴったりな1年を終え
令和6年がスタート。
3月4月は、私の中にある枠から飛び出ることが続き
改めて行動すること
経験すること
初めてそこから「日本の精神文化、文明」の真髄にふれることになりました。
いつまでも開運のことしか話さない、それしか受け入れられないのでは?と
それを提供している自分を、夏越し大祓を機に見直してみたところ
自分にはその要素が見当たらなかったです。
開運や不思議体験のようなことではなく、神羅万象に祈ること、日本の精神文化、文明を発信すること。
実践すること。
それが「引いては開運」になるのかと感じていますが
それは単なるまやかしに過ぎないのです。
改めて祝詞の叡智
古語の叡智
何故それを伝え残そうとしているのか。
意識を変えようとしている真の大和の魂たちに向けて
キャッチできる人が増えてほしいとは感じています。
まずは意識のアンテナがそちらに向いている人たちへ。
話す機会作ります。
よみがえり。
この言葉の奥にある世界を
一緒に開いていこう。
そう感じている方へ
最大限の波動の中へお連れいたします。
ご自身のアンテナが最高の波動をキャッチした方
集ってください。