おばちゃんが突然しんだ。
おばちゃんが突然しんだ。
86歳でまだまだ元気だったけど、米つぶを詰まらせて亡くなった。
まだ死んだなんて信じられなくて、まだいるような感覚。
不思議と、寂しさはないのだ。
私は、おばちゃんに対して、いつ死んでしまうか分からないから、いつ死んでも後悔しないように関わってきた。
生きているおばちゃんからしたら、いつ死んでもいいように関わるなんて失礼な話かもしれないが、私はおばちゃんに会うたび、″最期かもしれない″と思い会ってきた。
ご飯に一緒にいったり、ひ孫を抱っこしてもらったり、小さい頃からの思い出は沢山。
ずっと心の中にばぁちゃんはいて笑ってる。
今でも笑顔のばぁちゃんがすぐに浮かぶ。
不思議と寂しくないのだ。
そして、後悔もない。
死ぬ2日前にも会って、ひ孫を抱っこしてもらい、私の焼いたアップルパイを喜んで食べていた。
年老いたばぁちゃんだったから、いつか最期がくるかもしれないと覚悟できて、精一杯楽しい時間を一緒に過ごすことができた。
両親や、旦那、会社の人、友だち、我が子
まだまだ元気な人が突然死んだらどうだろう?
喧嘩したままだったり、もっと優しくすればよかった、もっと親孝行すればよかったと後悔するかもしれない。
人は、死ぬ。
いつか自分も。
いつか死ぬと思って生きると、人は優しくなれるし、精一杯生き抜くことができるのだろう。
5ヶ月になる息子を連れて、親しい人のお葬式はこれで2回目。
大好きな人は突然死んでいく。
後悔のないように、精一杯
借り物の命を生きていきたい。