誕生日に想う
自分の存在について考える
女性の幸せは結婚だとまわりからも言われていた19歳のころ。それから結婚したことでしあわせと感じる機会が多かったことには間違いないと思っています。しかし、歳を重ねるごとに(死を意識することにより)より自分がこの世に誕生する前に「こんな人生がいい」と選んで生まれてきたような気がしてならないのです。こんなに想いが強くなるのは人生の終わりが近くなってきているからだと思っています。自分のために生きることは大事です。でも自分だけで生きていくことや、自分だけでできることには限界があり、多くの人たちとの関わりの中で、私は自分が社会課題だと思っている学歴や育った環境に関係なく、頑張っていきたいという人(特に若者)が多くのチャンスに恵まれる世の中にすることが社会全体がしあわせの循環になるのではないか。そのために自分ができることは精一杯やっていきたい。自己満足ではないか、そんなきれいごとは通用しないといわれることも多いのですが、それが私の姿であり、そんな生き方をしていきたいのです。
何を考えている
誕生日を迎えた今日の朝、もう一度このプレゼンのシートをだして眺めてみました。既存の事業にITをプラスしています。
残念なことに特に文系の若者の就職先は減少の一途をたどっています。
少し学業で躓いた若者、家庭の事情で学校を辞めざる得なかった若者、家庭の事情で介護を一手に引き受けている若者、表にはでないDVによって家庭から出られない若者、就職先の会社で月100時間を超えるの不法残業によって心身ともに立ち直れないほどのダメージを受けリタイアした若者、そんな若者に私に何ができるのか。また、私と同年代や40歳代の方々もこれから自分の人生を考えた時に何かできるのではないだろうかという相談も増えてまいりました。ここで両者にだけ目をむけるのではなく、企業や日本の社会情勢と世界との違いを考えた時に出てきたことがIoTです。
「勉強したからってすぐにIT業界に入るほど甘くはない。」
「経験がものをいう。」
たくさんのお言葉をいただきながらのスタートです。
ITと一口にいっても様々です。
私はIT関連のスペシャリストになるためには、時間と経験がかかることはわかっているつもりです。
ただ、スペシャリストも最初は素人だったはずなのです。
誰かに育てていただいた、自分で勉強した、そのことを誰も否定はしないはずです。だったら私に想いに共感してくれる人を探すしかないと思ったのです。
共感の輪がひろがっている
「白石さんがやるから意味がある」そういってくださった方がいらしゃいました。私がITのことに明るくないことはご存知の方ですが、IoTをすすめるにあたっては、まずよくわからないということが「なるほど」と思うところに意味があるとのことです。「このくらいだったらできますよ」という声をかけていただいたり、「同じ大学の学生に声をかけます」といってくれた若者たちもいます。
心配事がないわけではない
そもそも、学ぶ側に受講料が払えないといった声があります。こんな時に寄付なのか、若者に投資をしてくれる方をみつけるのかとても悩ましいところです。ここ数か月はこのことで様々な問い合わせをしてみましたが、すでにどこかで働いている人は比較的使えるものがあったりしたのですが、そもそも経済的な負担が難しい若者の学びをどうするのか。モヤモヤとここに対する一手がうてないままで誕生日を迎えています。
10年後の未来
私は株式会社夢をかなえる研究所は地域の一つのプラットホームとして存在していて、「研究所」=「自分の可能性を引き出せる場所」として多くの個人と企業と社会につかっていただけるものを運用していたいと思っています。