創業物語Ⅳ 社会教育施設までの道のり
退職
小学校という教育現場での任期終了。
私の教員での働き方は、臨採(臨時的任用教員)。教員免許もありますし、通常の教員とまったく同じ勤務体系。給与はいただけるだけありがたいと思っていましたが、同一賃金同一労働とはかけ離れた世界にいました。
通常学級や特別学級の担任はもちろんのこと、学年主任や校務分掌といったものもしっかり受け持ちをし、同じ学校に長くはいられない。学年の途中からも入ることもあり、短期間で子どもや保護者との関係構築を行い、クラス運営を軌道にのせる、常にタフさを求められる仕事でもあります。
光市にいる時には、働く環境もよく、職員研修も正規の教員とともにしっかり受けることができ、何よりトップ(校長)が非常に器の大きい人間だったため、一人の教員として働くことができました。
単身赴任をしてまでも続けていたやりがいある仕事でしたが、夫の転勤で県が変わると職場環境が一気に悪化し、任期が終了することにはメンタルがボロボロの状態でした。このままの働き方で、私は社会的役割を果たしているのだろうか。学校というところから離れてできることはないかと思い、任期終了とともに学校教育現場を離れました。
転身を試みる
教員時代から気になっていた資格の勉強を本格的に始めました。
当時はまだ民間資格だったのですが、キャリアカウンセラーという職業名した。特急電車で通学しながらの勉強の日々、そこには企業人で人事を担当している、もしくは転職会社で働いている、公務で管理職を経験している方々がともに学ぶ仲間でした。教員は一人もいないどちらかというと東京での仕事に近い方々ばかり。心理学から労働関係法、ファイナンス、福祉や医療、教育、テクノロジーといったかなり広範囲の勉強であっても即実践型の教育だったため、常にグループ内でワークショップを行っていました。必死に勉強したため筆記は8割、実技は7割といった成績でなんとか合格。
では、キャリカウンセラーの資格をいかした仕事を探すことになります。
公共職業安定所(ハローワーク)
資格をいかす仕事を探します。しかし、実績がないため苦戦する中、ある民間の会社の目にとまり、そこから公共職業安定所でカウンセリングや応募書類の添削など相談にのり、職業をあっせんする仕事に就くことができました。とにかく資格の実績を積みたいというこれも期限付きの仕事でした。
次のやりたい仕事が見つかる
学校教育(小学校・中学校)経験8年以上かキャリアカウンセラーか心理士の資格を持たなければ応募すらできない求人。私は要件を二つも満たし、しかも中学生から39歳までの自立教育を行う新規公共施設の立ち上げ指導員としての仕事5年という期間ではありますが、これが今の私ができる仕事だと思い応募。試験会場には100名ほどの応募者。この中から5名も選ばれるのかと思うと、不安よりも働く自分の姿がイメージがどんどん湧いてきました。結果は合格。指導員でしかも主任として着任することとなりました。