2022.12.19 雑記
書き込むという背徳感
火災報知器の電池切れを知らせる音で目がさめる。
これが真夜中じゃなくてよかった。ぶつけるあてのないイライラを抱えて一日過ごすことになっただろうから。
『文章読本』(丸谷才一、中公文庫)を読んだ。
四十年前の本だけれど、今読んでも「なるほど」と頭に入ってくる。全然色褪せない。
「語彙をふやす安直な手なんてものはあり得ない」「すぐれた文章のなかで生きてゐる言葉とつきあふしかないのである。」との言葉には勇気づけられる。
ただ、この本を読んでいくにあたって本に直接書き込むという手段をとった。
普段は決してそんなことはしない。ノートにメモをする。断じて本は汚さない派だった。しかし今日はカバーまで外して裸のまま持ち歩いている。
それもひとえに私の不勉強が原因なのだ。
まず、読み方のわからない漢字、意味の理解が不十分な言葉が頻出する。漢詩や古文は読み慣れていないので区切らねば読めない。これらすべてのノートに写してでは煩わしい。
こうして私の主義に反して途中から鉛筆を入れた。
ボールペンでなく鉛筆。いざという時に消せる鉛筆を使うというのが私なりのささやかな抵抗なのです。