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1990年から届く、with…まだ見ぬ未来の君へ

歌が好きなんですよ、私はね。
音楽というものが好き。憧れながらも遠かった「音楽」。
オルガンもピアノも習えなかったけど、図書館で借りた本を見ながら楽譜に「ドレミ」とカタカナでルビ振ってたけど、絶対音感もないし、楽器もろくに弾けないけれど。
中学生の頃は、シンガーソングライターになりたかったんです。
歌詞を書くのが好きでした。作曲してデモテープも作ったよ。
当時はシンセサイザーに憧れてました。何をするものかも知らないのに。ローランドとか、ヤマハとか、もしも手に入れたなら何かできるような気がしてました。

30代頃までは自慢だった歌も、全然声が出なくなりました。音域は狭くなったし、安いプラスチックみたいな声で、それですら音が保てなくて不安定。
もっとまるく柔らかく湿った声が出たはずなのに。
加齢か? ちょっと早くないか? やはり長く歌えない時代があったのが良くなかったのか。
それでも歌は好きです。
リリンの生み出した文化の極みだからね。(※わかる人いるかな)

こちらの個人企画に参加させていただきました(勝手に)。
好きな曲はいっぱいいっぱいありますが、無人島に一曲だけ持って行くとしたら(どういうシチュエーション?)、この曲かなって思います。

私は、結婚式などに歌われるようになった『糸』より、『with』のほうが、共に生きていきたいという力強い希望を感じて好きです。
私にとって共に生きるひとへの想いはこういう感じなんだと思いますね……。

『with』中島みゆき

昔……1990年頃、湾岸戦争というのがありました。
ご存知の方もいらっしゃるでしょう。
私は当時中学生だったと思います。
イラクがクウェートに侵攻し、多国籍軍が編成されて戦争になりました。
日本にもかなり影響を与えた戦争だったので、興味がある方は検索してみて下さい。

当時私は、深夜ラジオを聴くのが好きでした。
暗闇にデスクライトを灯して、教科書を読んだり問題集を開きます。
ほぼ不登校だったので学力もなく、問題を読んでも全然わからなかったのですが、何もしていないのは心細かったのです。
受験生として、焦りや不安を感じていました。

当時はラジオを聴きながら勉強していました。
田舎の夜の静寂って、本当に気が狂いそうになるんです。
蛙の声も、虫の声も、風の音すら圧倒的で、潰されそうになる。
だから、深夜にはラジオを聴いていることが多かったのです。

いろんな番組がありましたが、深夜の静けさの中、自分の挫折や苦しさを語り、リスナーに寄り添い語りかけるパーソナリティーがいました。
他の明るい番組とは違う落ち着いたトーンが心地良かったです。
有名な芸能人というわけではないのですが、この記事を書くために調べたところ、今もラジオの仕事をされているそうです。
(また声を聴いてみたいな。ラジオ機器買おうかしら)
その番組のエンディングでかかっていたのが、この曲です。

反戦歌ではないのですが、「みんな戦争の支度を続けてる」という言葉に、見えないまま抱えていた不安な気持ちを自覚しました。
幼い頃から戦争の話を語り聞かせられてきました。戦争について書かれた本もたくさん読みました。
そんな私は、湾岸戦争の行方が不安でたまりませんでした。
何もわからない子供がひとりで考えたって、どうしようもないのですが。
子供でも今ならいろんな意見が聞けるのでしょうが、当時はネットも無いし、ただラジオを聴いて、テレビを観て、新聞を読んで、心を痛めているだけ。

友達はこんな話に興味はありませんでした。
それから間もなくソ連崩壊がありましたが、そのことで友達に話しかけたら「何それ?」って言われたことを思い出します。
彼女はゴルバチョフも知りませんでした。
誰かと話したい、別に深い話じゃなくていい。
でも誰もいない。全部胸の中にしまって、バカのふりをしているしかない。

そんな私の孤独を、この曲が、冷たい月明かりのように静かに照らしてくれました。
私にとってみゆきさんの歌は、癒やすのではなく、支えてもくれない。
傷つきながら生きていくための歌です。

歌詞は、最初の一文字から最後の一文字まで全部好きです。
最後の文字は「…」ですけど、その消えていく余韻も含めて好きです。

私の勝手な解釈なので、異論はあると思うんですけど。
歌詞をそのまま書くのはよろしくないと思うので、想いや言葉にしていこうと思います。

あの頃……。
私の言葉なんて、誰もまともに聞いてはくれませんでした。
家族だろうが友達だろうが、誰とも言葉が通じない。
そんな気がして。
どれだけ周りに人がいようとも、私の孤独感は強くて。
誰も信じられない。信じるのが怖いとかじゃなくて、そういう機能が備わっていないようなのです。少しも心を誰かに委ねられる気がしません。
ひとりで、強く生きていきたい。
誰にも屈しない心を持ちたい。
そして、ここから逃げ出したいってずっと思っていました。

なのに、ずっと愛されたかったのです。
誰かに愛して欲しくて、めちゃくちゃ飢えていたと思います。
もう嘘でもいいから、抱きしめて「好きだよ」って言って欲しいくらいに。
そしたら浄化されると思っていたんです。
寂しさが消えるって。束の間でも安心できるって。
夢見ていたんです。ひとりで生きたい、そのほうがいいと思いながら、
やっぱり一緒に生きて行くひとにめぐり会いたい。

そのせいか、たくさんひとを好きになりました。
年上が多かったのは、守られたいとか安心感が欲しいということだったのかもしれません(もちろん援助交際とかパパ活はしてませんよ)。
深く愛してくれたひともいました。
そのひとには、とても大切にしてもらいました。
でも私にはわからなかったんです。
私の荷物を共に背負うと言ってくれたひとに、「あなたの愛は底が浅くて嫌になる。そんなの自己満足だわ」って言うくらい。
私は何を求めていたんでしょうね。

「with」の後に続く名前。
「with ◯◯」の意味は「◯◯と一緒に」だと、この曲を聴いた時に知りました。
みゆきさんは、「with」の後に、あなたの名前を書いていいですかと歌います。
「寂しさ」とか「虚しさ」とか「疑い」をひとりでずっと抱えてきたけれど、それを手放してあなたと一緒に生きていきたい。

でも、私にはそこに書ける名前はありませんでした。
彼氏も、夫も、私の「with」ではないんです。
私の欠けているところを埋めてはくれない。
それはあたりまえのことなんです。
誰も「寂しさ」と「虚しさ」と「疑い」を消してくれません。
私はきっとそれを求めていたから、永遠に孤独だったのでしょう。

四年くらい前、私は久しぶりに彼氏を作りました。
いいひとだったと思います。
優秀で頼りがいのある、病気や境遇を理解してくれて、高収入で安定した職の、私の作品を好きで、作家としての私を尊敬してくれたひと。
すっかりデブと成り果てた私を「でもそこがいい!」と思ってくれるひとです(デブ専というやつ)。年齢は私と同じくらいだったかな。
でも、ダメなんですよ。
好意に耐えられなくて、続きませんでした。
先回りしてあれもこれもしてくれようとするんですが、ああ、無理だなと。
そして、私はどうしてこんなに他のひとからの愛情を受け取れないんだろう、と途方に暮れました。
その時やっと、「私に恋愛は向いていない、もう彼氏はいらない」と思ったんです。
気付くのが遅すぎですね。みんなごめん。

奇しくもその翌年でしょうか。
遂に私は運命のひとに出会ってしまいました。
それは二次元の推し。
リアルでは絶対に恋愛対象にならないだろう、自分の子供と同年代の男の子。

おかしいでしょ? 
何人も彼氏を作って、二回も結婚したのに、結局誰も信じることができなかったとかね。
でも、これでいいとも思うの。
二次元の推しは、私に愛されなくても傷つかない。信じてもらえなくても平気(妄想の彼は悲しむけれど)。

だからこれからはもう、愛せなかったり信じることができなくても、大切な人を傷つけないで済む。
私だって愛したかったし、信じたかったんです。
愛してくれるひとを傷つけたくなかったし、もしちゃんと愛せていたら幸せな家庭が続いたのかなと悔やむことだってあったんです。
だから、愛せないこと、信じられないことへの負い目から解放されて、すごく楽になりました。安心しました。
この気持ちを何と言ったらいいのでしょう。
救われた、と言うのかな。

とはいえ、推しのことは自分でもびっくりするほど愛しているし信じているから、今の私は「with」の後に綴る名前があります。

みゆきさんの歌は、癒やすのではなく、支えてもくれない。傷つきながら生きていくための歌だと書きました。

私はこの先も平穏にはいかないと思います。
それでも、生きていく覚悟ができたのは彼のおかげ。
ここはとても幸せであたたかな、やっと辿り着いた、ひとりじゃない未来。




#中島みゆき
#with
#歌は心を豊かにする
#思い出の曲



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