お前の中に生きている
今年はわたしの弟・妹の結婚式が立て続けにあり、親族と頻繁に顔を合わせた。
ここ数年、いや、10年以上疎遠だった親類ともこの機に再会した。弟妹たちのために参列してくれたことに、感謝の思い。
当たり前だけど、互いに歳を重ねている。
2、3年ぶりに会った父方の叔母は、その母…わたしにとっての祖母と、そっくりになっていた。
祖母とは完全同居で、亡くなるその日まで一緒に生活していた。急逝したのはわたしが高校生の頃だから、17年前か。
再会した叔母の年齢は、祖母が亡くなった歳にはまだまだ至らないけれど、子どもの頃見てきた「ばぁちゃん」の面影を強く、強く感じた。最近叔母に孫ができた、というのも理由なのだろうか。
突如、込み上げるものがあった。ばぁちゃんに再会したような心地で、危うく涙が出そうだった。
これを自分の胸に留めておくか、叔母に伝えるか一瞬悩んだが、話した。ちょっと泣けた。喜んでくれた。伝えて良かったんだなぁ。
結婚式では、これまた久々会う従甥たち(従兄弟の子どもをこう呼ぶとは知らんかった)の成長を嬉しく思うと同時に、彼らが、幼き日の従兄弟自身にそっくりで驚いた。まるで子どもの頃の従兄弟に会ったかのようで、でも当たり前だが従兄弟本人は横にいるし、わたしはちょっとした混乱。子ども時代にタイムスリップしたみたいだなと思った。懐かしい記憶が浮かび、懐かしさに胸が締め付けられた。
結婚式という家族の思い出を振り返る空気が、尚のこと感情を高ぶらせるのだろう。
血の繋がりは、裏打ちされた事実である。客観的に、確かな関係性である。それと相反して、血縁ほど不安定で不確かで、頼りないものもないと思う。時にしがらみにすらなる。
でもこうやってそれぞれの姿に、家族の歴史を感じた時、「あぁ、やっぱりこれって、大事なものなんだな」と、わたしは思った。漠然と。
身内との関係を大切にするのは、義務でも当たり前でもない。そこには努力や意識も必要だ。それぞれの価値観でいい。
ただわたしは、親類の姿に、言葉では表せない何か大きな繋がりを感じた瞬間、途方もない思いに駆られたのだ。今抱いているこの感覚は、きっと大切なものだ、と。
わたし自身も、かつての誰かの面影を宿しているのかもしれない。想像もつかない、計り知れない命の繋がりの中できっとわたしは生きているのだ。
そしてそんな命が、これから先の未来へ紡がれていくと思うと、果てしない気持ちになる。
披露宴の最中、そんなダイナミックな思想にふけるわたし。
劇団四季のミュージカル「ライオン・キング」の歌詞が浮かんできた。
「父も祖父も (ヘンバメーラ!)
お前の中に (ヘンバ!ヘンバメーラ!)
生きている (ヘンバメーラ!)」
※カッコ内はアンサンブルの合いの手みたいな歌声(個人的主観による書き起こし、多分いや絶対違う)
こうして、命を繋ぐという生物の営みは、家族の繋がりとなる。そして、…考えても考えても、ふさわしい言葉が見つからないのだけど、いつだって別れを恐れるわたし達にとって、救い、でもあるのかもしれない。
わたしの存在も、そのひとりであるのだ。
そして、そのように捉えられる自分は、きっととても幸せな環境で育ってきたのだろう。