樹になりたい
最近、ほんっとうに1週間が早い。いや速い。光陰矢の如しまじで瞬殺。こうやってあっという間に死ぬんかな、なんて考えている。
肌荒れがひどくボコボコである。すっかりお馴染みの顔面全体のシワも酷い。ボコボコのシワシワ。顔の形容ですよこれ。
30代半ばでこんな顔っつーことはマジもんのばあちゃんになったらどうなるんだ。顔面崩壊してんのか。
あっという間にばあちゃんになってシワシワぐしゃぐしゃになって、それでも人生は続くのか。天寿全うするとして、自分のこんな顔と、あと何十年向き合わねばならんのか。人様にこの面晒していかねばならんのか。
娘たちと公園遊び。こんな疲労に満ちたオバサンが幼児を育てている、大丈夫なんか。
公園にいたのは、幼児連れのじぃじばぁば、これが2組。老年も子どもの世話すんのか、わたしはちょっと御免こうむりたい。たまに可愛がるくらいで、まぁ…。
砂場で汚れた、娘たちの手を洗う。たまたま持っていたハンカチの柄がドラえもんで、見ると秘密道具の「タイムふろしき」が。なんつータイミング、今すぐこれを我が顔面にかぶせたい。つくづく病んでいる。子どもの小さな手を拭いた。
「帰ろう、眠い」連呼のひどい母親である。心底きつい。
公園内に、記念樹が植えてあった。
立札には「昭和60年 卒業、就職記念 ●●一同」
ということは、植えた方々はもう還暦くらいか。
若々しい樹だ。およそ40年前は苗木だったはずの樹、今はわたしの背くらい。幹も枝もまだまだ成長の余地を感じさせる。何十年、何百年かけて大木になるのか。
40年で、この若さか。
羨ましすぎる。来世は樹になりたい。
その為には、結構徳を積まねばならない気がする。
もろもろ、思考がひどい。
娘たちが後部座席で寝ているので、大急ぎでこれを書いている。タイトルは、「わたしは樹になりたい」にしようとしたが、名作の冒涜だと思い直した。あの映画は忘れられない。
書きたいことがまだまだたくさんある。毎日増えていく。