父の腹部大動脈瘤の手術
コロナ の第6波が進行していた頃、父の腹部大動脈瘤の手術が行われることになった。病院の警戒レベルは日を追うごとに高くなっていった頃だった。
お見舞いも手術の付き添いも原則1人という中、高齢家族の理解力を慮ってか、
手術方法を病院から教えてもらう日も、手術の日も、母と私の2人で行くことが
まだ、この時は許されていた。
腹部大動脈瘤の手術は、午前から行われるので、私たち2人は、8時半ごろに病院に到着するように家をでた。
基本、病室での面会は禁止。
病室のある病棟フロアの待合室での面会のみ可能という状況だった。
そして手術中もテレビドラマのように手術室前で待機ということはなかった。
面会室で、手術室に向かう父に会うのが精一杯の状況であった。
うちの家族はありがたいことに、ここまで大病を患ったことがなくて、家族の誰かが入院となると大事なことなのだ。そこに来て手術だ。加えて、両親には黙っていたが、私は先輩の親御さんが動脈瘤のカテーテルでのステント手術をしたが、手術後意識が戻ることなく半年後に亡くなられたケースを知っていたので、正直、かなり不安であった。
手術室に向かって病棟から歩いて向かう父に
「おとうさん、頑張ってね」
そう言った私に、何を大袈裟なという表情で、父は手術室に向かった。
同時に、こういう時ってベタな言葉しかかけられないものだなとも痛感した。
手術は10時前から始まって、5時間くらいを予定していただろうか・・
その間は、この待合室で母と二人でひたすら待機であった。
この時の母は、私と二人いるからか、午前中だからだったからか、
少し会話をしながら、窓の変わらない景色を見ながら大人しくいつものようなボケた様子もなく過ごせた。
病院の待合室は、この病棟フロアのいろんな人がやってくる。
お見舞いにやってくる人、今日退院する人の家族、今日入院する人の家族、病棟が飽きて気分転換にやってくる患者さん。
ただ言えるのは、圧倒的にご老人の多いこと。日本の高齢化社会をまざまざと見せつけられているようだ。老人夫婦のみの場合、いろいろ説明をする看護士さんは大変だ。何度も同じ話を繰り返して説明しなければならない。
もうそれは、コントや漫才のようだった。テンドンというやつか?というくらい、同じ話を繰り返している。
どこの高齢夫婦も同じかな。だったら、私の母の物忘れ、理解力の低下もこの年齢では一般的なものなのだろうか・・・ちょっと安心するような、いや、安心ではないのだけど、他にも同じようなケースがあるとわかればちょっとほっとする。
これは、これから両親の面倒を見なきゃいけないかなと感じていた私には、どこの家族も似たような感じというのは、ちょっとだけ肩の荷が降りたような感じだった。いや、大変なことは変わらんのだけど。。。
手術は、お昼を跨ぐので、昼食を取りに病院一階のコンビニ行くのは良い気分転換だった。うちの母は、お寿司以外は出来合いの惣菜を買うという概念がない人だった。簡単に野菜炒めたり、煮込んだり、料理をする人(決して料理がうまいわけではないけど)で、惣菜を買うことは否定派の人だった。
だが、父の病気のおかげでその概念を変えてしまった。
コンビニのラーメンを購入して二人で食べたのだが、最近の惣菜のレベルの高さに母は気づいてしまったのだ。
「美味しいねえ。こんなに美味しいの」
母は感嘆していた。
これだけではない。病院通いが定例となった両親は、場合によって夕方に帰宅することになった際は、スーパーの惣菜を活用するようになった。ま、私が教えてしまったのだけど・・・
話はそれたが、13時半頃、父の腹部大動脈瘤の手術が終わったという知らせが待合室に届いた。
看護士さんは
「病棟のエレベーターホールで待っていてくださったら、ベッド上ですけど、手術後のお父さんの顔見れますから」
と親切に父に合わせてくれるという。
手術後の父が運ばれてきた。
「お父さん、頑張ったね」
声をかけてみたが、まだ麻酔が完全に切れていない父は半分意識が朦朧としていて、わかっていたかどうかはわからない。
ひとまず、腹部大動脈瘤の手術は無事終わった。
次は、胃癌がどういう状況かだ。