kanaaimi

アラフィフの女性ひとり身です。じぶんのこの先のこと、健康のこと、両親のこと、日々のことで感じることを綴りたいと思いました。 ちょっとした日記、じぶんメモみたいなものかもしれません。新しいものに触れてみたいとちょっと思っています。

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最近の記事

父の胃癌手術

前回の投稿からだいぶ経ってしまった。 まめな性格ではないのがバレてしまう。笑 私は生きてます。 父も生きてます。 母もボケが進みながらも生きてます。 さて、父の胃癌がステージ3かステージ4か怪しいということなので、 父はPET検査を受けることになった。 この検査でお医者さんが指摘した腹部大動脈瘤付近のリンパ節に癌の反応があったら、ステージ4ということだ。もちろん、それ以外の遠隔部分も反応してしまったら同じ。 検査後、その結果は懸念していた箇所も遠隔ぶぶんにも癌はなし。

    • あらためて宣告される父の胃癌

      父の腹部大動脈瘤の手術から10日後。父は一旦退院をすることになった。 そして、たいいん当日、胃癌のことを家族含めてあらためて教えてもらう、 つまり宣告されることになった。 テレビのドラマとは違って、いきなり宣告東jことはなく、 もう、父も母も私も、かなりの確率で父が胃癌であることは認識している。 いや、やんわりと、もう既に私たちには、胃癌であると伝えられている。 その日は、胃癌のステージや今後の治療方針を聞くのだ。 退院日と合わせていたので、腹部大動脈瘤を手術していただい

      • 石油ストーブと生協と父の胃癌告知

        父の腹部大動脈瘤の手術を終えてから、約1週間、私は実家に残ることに決めた。 コロナ第6波の冬のこと。 実家の暖房は石油ストーブであった。 エアコンでも暖房機能はもちろんあるのだけど、私の母にはその概念がない。 長年、実家の暖房が石油ストーブなのは、煮込み料理やお湯を沸かしたりなど、何かと両親にとっては効率が良かったのだろう。 だが、ここで問題が・・・・ 長年の一人暮らしにより、一人でなんでもできるようになってしまった私と違って、母は違う。 機械ものは父、掃除や洗濯、料理は母

        • 父の腹部大動脈瘤の手術

          コロナ の第6波が進行していた頃、父の腹部大動脈瘤の手術が行われることになった。病院の警戒レベルは日を追うごとに高くなっていった頃だった。 お見舞いも手術の付き添いも原則1人という中、高齢家族の理解力を慮ってか、 手術方法を病院から教えてもらう日も、手術の日も、母と私の2人で行くことが まだ、この時は許されていた。 腹部大動脈瘤の手術は、午前から行われるので、私たち2人は、8時半ごろに病院に到着するように家をでた。 基本、病室での面会は禁止。 病室のある病棟フロアの待合室で

          物忘れの母と一緒に聞いた父の病気告知

          翌日が父の腹部大動脈瘤の手術を控えて、どんな手術をするのか病院から家族に説明があった。 父、母、私の3人で話を聞くことになっていた。 ただし、病院にはちょっと早めに来てくださいと言われいた。 まず、母と私、2人だけに父の病気の状況が告知された。 説明をしてくれた先生は、翌日腹部大動脈瘤の手術を行なってくれる心臓血管外科の先生だった。 まず、父の腹部大動脈瘤は8センチ近く大きくなっていて、いつ破裂してもおかしなく状況であること。破裂する=死であるということ。この大きさは、

          物忘れの母と一緒に聞いた父の病気告知

          母の物忘れと父の病気

          年末年始、実家に帰って、まず感じたことは母の物忘れが以前にも増していたことだった。コロナでなかなか実家に帰れなかったおかげで、余計にその忘れの度合いが強く感じているのかもしれないとも思った。 日常生活はできている。でも以前だったら年末年始の大掃除、綺麗好きの母は、細かいところまで綺麗に掃除をしていた。今年は違った。洗面台や、テレビ台など細かなところで、ほこりや汚れが目立ったいた。 一方で、いつものように生花はお正月用に華やかに飾っていたし、日頃の生活もできている。 そして

          母の物忘れと父の病気

          母の物忘れの話①

          私は昨年の秋に体調を崩して、しばらく会社を休んだ。 一人暮らしで、生活ができないわけでもなかったが、 離れて暮らす両親にも、会社を休むことを伝えた。 そうすると、一週間ほどして父から「帰ってこい」の電話。 私の母は、コロナワクチン未摂取だったので二週間ほど自宅に篭った後、 私は実家で療養することになった。 コロナで約2年ぶりに実家に帰った。 両親はいつもと変わらない様子で、私を迎えてくれた。 ただ、ちょっと母の様子が2年前と少し違うようだった。 2年前も少し昔のことにな

          母の物忘れの話①

          おうちを買った話

          私は約10年ほど前、ふと思い立ちマンションを購入した。 それは突然のことだった。 マンションよりも戸建派だったし、まさかそんな気持ちになるとは思いもよらなかった。 当時は1DKの賃貸マンションに住んでいた。そこに引っ越してからも10年近く 経っていた。当初は学生時代の友人が結婚してそのマンションの近所に住んでいたので、遊びに行きやすいからという理由で、そこに決めて住んでいた。 月日は経ち、その友人も他の地方に転勤していまい、知り合いもいなくなって しまっていた。 合わせて会

          おうちを買った話

          徒然なるままに・・・

          自分の日記みたいなものを、記録しておこうと思ったのはいつ以来だろうか・・・ 一時期流行ったmixi以来かな・・・ もともとマメな性格ではないが、この人生において、たびたび日記的なものをしたためたくなる時期が何度かあった。 今もその時なのかもしれない。 そう感じたのも、私は昨年、仕事で体調を崩してしまい、半年ほど会社を休んだ。 そのことがきっかけなのかどうかはわからないけど、自分は定年まで会社にはいないかもしれないなということが、頭をよぎるようになった。 私にとって仕事

          徒然なるままに・・・