この世界って、基本はホラーでできていると思ってる。

ホラー映画には向いていない、と思う。そもそもホラー映画を観るという選択をほぼしないのだけれど(実際、今まで観たホラーに分類されている映画は2本だけだと思う)、食わず嫌いではないということを一応自分で確認しておきたいので、人が薦めたものを2本観た、ということになる。

そのうちの1本は、恐らくホラーの中でも有名であろう『シャイニング』(1980)なのだけれど、わたしはこの映画を観て、途中から気が狂って斧で追いかけてくるジャック・ニコルソン演じる主人公に恐怖、というより腹を立てる性質がある。最近観たもう1本の映画を観て思ったのは、結局自分にとって一番恐ろしいのは自分自身であり、それを扱うことはなんて難しいのだろう、ということなのだけれど(その映画自体は全然怖くなかった)、気が狂って身内を斧で追いかけ回す人物の頭を斧でかち割りたくなるのは無論、わたしのほうだ。

ホラー映画をみて恐怖を感じることで、脳内で快楽物質が発生してやみつきになる、ということがあるようだが、そもそもホラー映画で創り出されている状況を分析して、怖いのかもしれないけれどやっぱり意味が解らないなぁ、などというつまらない人間は、ホラーを楽しむ資格はないのだろう。観てもあまり恐怖を感じないので、快楽の物質も出ないと思う。
それとも、この世界に余程ウンザリしているのか。

夜中に武装勢力に拉致され、戦場で死体を運ぶ仕事をさせられ、運良く家に帰れたものの、毎晩夜中に泣きながら目覚める十代の少年がいたり、宗教が違うだけで殺されたり犯されたり、身元も保証されずに海や陸で漂うロヒンギャがいたり、保身の為に人に文書を改ざんさせて自殺に追いやる原因を作っておきがら知りません、と知らん顔しているのではと疑われる人物が背広を着込んで国の仕事をしていたり(怖い。やめて~)、削ったチョークの粉に蟻んこを沈めて遊んだりする、子供の頃のわたしがいるのだ。
わたしが毎日ニュースで見ているものがホラー過ぎて、感覚が麻痺しているのか!怖すぎる。

幸い、人間が美しいと感じる瞬間、そうしてそれが、唯一信じられる優しさの泉である神の横顔が垣間見えたように感じるとき、あぁ、それはあるのだなぁと思う。そうでなければ、わたしは希望を持って生きてはいけない。そして、この世界でそれを発掘する強さをもつことこそ、人生の本当の目的と成りうる。(と、わたしは思う。)難しいなぁ。
やはり自分の心が人生の最重要課題であり、それに向き合うのって、辛いけと本当のタフネス。

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