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人生、旗揚げゲーム中
こんにちは。きっかけアクセサリーのお店カナ・ノワール堂、店主の音海奏乃です。
右揚げて、左揚げないで、右下げない……という感じで進んでいく、旗揚げゲームをご存知でしょうか。小さいころはよく、そういう体と言葉を使った遊びをしていましたが、皆さんはどうでしょう。
今日は、そんな旗揚げゲームのような日々の過ごし方について、ちょっとだけつづってみましたので、よろしければご一読くださいね。
旗イコール、やること
人生における旗揚げゲームは、やることを取捨選択する力が試されています。日々、生きているだけでこなしていくことがいっぱいありますよね。よく、人生は選択の連続だと聞きますが、本当にその通り。大なり小なり、意識的にも無意識にも、選択をしながら生きています。
ところが、選択と実行は別もの。選択したからと言って実行できるとは限らないのです。これはもう、在宅介護をしていると、日々痛いほど感じています。
さて、旗揚げゲームの話に戻りましょう。ゲームに使う旗は、「やること」なので、まずやることの数だけ旗が増えていく。細かい部分まで考えていくと、両手足のすべての指を使っても足りないくらい。大雑把に分けたとしても、スケジュール的に足りなくなることだってあります。
どうにかして、旗を減らせればいいのですが、どうしても減らせない旗があるのも事実。最低限の旗を持ったら、いざゲームの始まりです。
揚げたり下げたり、実行できた?
揚げたり下げたりは、実際に選択していく工程です。自分の意思で、自分が指示を出せる時もあれば、ほかの人や環境などによって指示が変わる場合もあります。
ほとんどの場合、最終決定権は自分自身にあるので、やるか、やらないかを選択していきます。例えば、料理を作るの旗を揚げたら、料理に取り掛かっていきます。でも、作らなくたってどうにかなると気づいたら、旗を下げて違う旗を揚げる。そんな風に、選択に次ぐ選択を繰り返して、旗を揚げたり下げたりしていきます。
ここで突然ですが、先ほどの言葉を思い出してほしいのです。
選択したからと言って、実行できるとは限らない
先ほどこう書いたのには、訳があります。料理の例でまた見てみましょう。作る、という選択をしました。しかし、子育てや介護、予期せぬ不調などによって、料理を作ることが出来なかった。結果としてやむを得ず、冷凍食品やお惣菜で乗り切った……そういうこと、ありませんか。
この場合、料理をするという旗を揚げても、様々な理由で実行できなかった。実行しないと出来ないでは、意味が大きく変わってきます。しないのは自分の意志ですが、出来ないのは環境や現象に影響を受け、制御不可能だからです。そんな風に、いくらやる気に満ち溢れた状態で高らかに旗を揚げても、下げざるを得ない場合もあって、やむを得ず別の旗を上げなくてはいけない時もあるのが、遊びのゲームとは違うところです。
あっちもこっちも揚がらない
もう一つ、遊びとしての旗揚げゲームと違うのは、「両方挙げる」が滅多に出来ないことです。特に、やること、つまり旗を持つ数が多ければ多いほど、その確率がぐんと上がります。
私は器用だから同時並行でこなせる、という人も中に入るかもしれません。そういう方はその能力をさらに磨いてください。きっと効率のいい人生を送れるでしょう。
私はというと、それが苦手なタイプ。料理と掃除は一緒にできないし、アクセサリー作りと部屋の片づけは同時にできない。24時間とか、1か月とか長いスパンで見れば、できると思うでしょうが、悲しいことにそんなことはないのです。
1日の中で、両立さえも難しい時があります。例えば、noteを書くのに自分の時間を使うと、ハンドメイドアクセサリーを作る時間がない。一方で、ハンドメイドアクセサリーを作る時間はあっても、完成した作品をサイトに乗せる時間まではなかった、などなど。始めた以上、しっかりやっていこうという思いが強すぎたのもいけませんが、中途半端な状態になりがちです。かといって、これ以上数を減らすこともできない。
あぁ、旗揚げゲームは難しい。
あっちが立てばこっちが立たない、といいますが、あっちも立ちかけのままこっちをたてなきゃならず、さらにそっちも立て始めて……という状態で日々を過ごしているので、大変です。その中で、優先順位をつけているのですが、優先して取り組んでいる部分とついつい後回しになっている部分の差が開いていくので、そこに胸を締め付けられてしまいます。罪悪感、というのでしょうか、それを持ってもしょうがないんですが、ついつい気持ちが沈んでしまいます。
置き傘ならぬ、置き旗で
そんなこんなで、たくさんの旗を揚げたり下げたりしながら今日も生きているわけですが、もう手にも足にも持てない分は置いていくことにしました。
傘立ての中の使われていない傘と同じで、今は手を付けられないだけで、そこにある状態。でも、そのタイミングが来たら、手に取って広げて、高く掲げる。時には放置しすぎてほこりを被ってしまったり、色焼けするかもしれません。でも、旗を揚げることはできます。揚げているうちに、もしかしたら本来の輝きを取り戻すかもしれません。
だから、私も「選んだのに実行できなかった」「ずっと後回しでできていない」という現実を悲しむだけで終わらせず、来るその日に向けて、できることを、少しずつでも積み上げていくつもりです。ピラミッドは1日では立ちません。1段1段積み上げて、あの形になるのだから。
今回は、日々の取捨選択について、旗揚げゲームに例えながらつづってみました。ちょっとわかりにくかったかもしれませんが、笑っていただいて、読んでくださった方が元気になればそれはそれで嬉しいです。
これからも、旗を揚げ下げしながら、音海奏乃は自分らしく、誰かのきっかけとなるようなアクセサリー作りをしていきますので、よろしくお願いします。
きっかけアクセサリーのお店カナ・ノワール堂
音海奏乃
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