最後に思うこと
こんにちは。音海奏乃です。
いつも、記事を読んでくださりありがとうございます。
今回は、思ったことを綴った記事。
自分が、自分でなくなる前に、思うこと……。
このまま最後になったなら
つい先日のことです。
久しぶりにものすごい腹痛に襲われました。
もともと、腹痛持ちの私。
最近は、改善していたので、忘れていました。
(……意識だけは手放してたまるか!)
と、何とか、痛みをやり過ごそうとしていた時のこと。
「もし、このまま、自分でなくなったら」
いつも、頭のどこかで考えていたことが、気になって。
せっかくなので(?)改めて考えました。
……あ、体調についてはご安心を。
その後、服薬して寝たら治りました!
(睡眠で全てを治すタイプ)
何を、後悔するんだろう
もう少し、○○しておけばよかった。
あそこへ出かけていれば、あれを食べていれば。
いろいろな方向から、考えてみます。
でも、一つを除いて、何も残らなかった。
普段から、思うことはあります。
あれを食べてみたいなぁ。
あそこへ出かけてみたいなぁ。
あんな体験ができたらなぁ。
けれど、どれも、さほど大事ではなかった。
「ま、次の命でできるかもしれないから」
なんなら、そう思うぐらいです。
今の命に、こだわる必要はない。
いつかの命で、何かの形で、できるだろう。
そう、思っている自分がいました。
ただ、一つだけ、当てはまらないものがあって。
「小説がまだ完成していないのに」
それだけは、後悔に変わると気づきました。
逆に言えば、それ以外のことは、後悔にならない。
そう、改めて気づきました。
正確には、小説の完成が目的ではありません。
その先に、読んでくれる方がいるから。
その方たちに、届けたいのです。
ほんの少しでも、幸せな瞬間を。
大変な日も、辛い日も。
頑張ってきた、人たちに。
紡いだ世界の、やさしさで。
小さな希望を、手渡せたなら。
願うのは、その先にいる、人の幸せ。
それを、願っているのに。
それが、できなくなるなんて……。
いつ終わるか、なんて誰も知らない
自分の命が、いつ終わるのか。
それは、わかりません。
中には、知っている方もいるでしょう。
ですが、確実にそうなる保証は、ない。
……と、思っています。
50年後かもしれない。5年後かもしれない。
数秒後かもしれない。わからない。
自分で、決められるかもしれない。
自分で、決められないかもしれない。
いろいろなパターンがある。
一概には、言えない。
ずっと、先のような気もします。
……けどね、そう言っている間に、終わるかも。
何も、直接的に命が終わることだけじゃない。
「私」としての体は残っても、意識がないかもしれない。
その逆も、また然り。
いつ終わるかなんて、わからないのに。
後悔することを、先延ばしにしたくない。
何を優先するか、それが大切だと気づきました。
私ではなくても
先ほど、書いたこと。
それって、ある意味、勝手なんです。
あくまで、私の願いだから。
私が、小説に希望をもらったから。
他の人にも、そうであってほしい。
そんな、勝手な理由。
それに、私の小説でなくても、いいんです。
だって、それがなくたって、生きていける。
幸せな気持ちかどうかは、相手が決める。
私の作品より、道端のえのころぐさのほうが、魅力的。
正直、そう思う時もあります。
技能も表現も、比べれば、他の方の足元にも及ばない。
価値があるかなんて、考えてない。
見えた世界を、言葉にしているだけ。
だけど……そう、なんだけど。
たった数人でも、いるんです。
【楽しみにしてくれている人】達が。
その人たちに、届けたいと思うようになって。
自分が体験した事を表現できるようになって。
それが、幸せを届けられたんだって。
すごく、嬉しかった。
……私じゃなくても、いい。
だけど、私の作品も、いい。
そう、信じられるようになった。
それは、大きな一歩でした。
ハンドメイドじゃないんだ……。
そう思った方も、いるかもしれません。
確かに、その通りですよね。
ハンドメイド作家なのに、ね。
今、楽しいのは、小説です。
だけど、ハンドメイドだって、根本は同じ。
【幸せを感じてほしい】
それが、私の願い。
今、幸せな人も。
まだ、幸せじゃない人も。
幸せを、感じられるきっかけを。
自分を楽しむきっかけを。
届けられるように、精進します。